第3話 : ユニコンを探して
熊子さんのOL生活もそろそろ5年目。「夕食は毎日必ず家族と一緒に食べていました」(本人談)という規則正しい生活を送りながらも、何かがポッとココロに芽生え始めた頃です。
その間に福子さんは東京(の大学)に進出。静子さんも将来の進学を考えるべき高校2年生になっていました。さて、最初にユニコンのドアを押し開けたのは誰?
福子さん(2000年夏:19歳の大学二年生) |
2000年の日本 |
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2000年の世界では ●シドニー・オリンピック開催 ●プーチン大統領就任 |
静子さん(2001年夏:高校3年生) |
熊子さん(2001年:27歳。OL生活5年目)
大学卒業後に地場企業に事務として就職しました。上司にも同僚にも待遇にもそれなりに恵まれ、仕事にも慣れてこれと言った大きな不満もないまま、5年の月日がたっていました。だけど、「何か、このままではいけないような気がする」という思いが生まれたのもこの頃。これといった確証も無いまま趣味的にグラフィック・デザインなんかを習ってみたり。当時は意識してなかったけど、きっと何か変化が欲しかったのかも。やがて思いついたのが「生まれて初めて行った外国、イギリスへの留学」という大胆な夢。学生のとき行ったのはイギリスといっても田舎のマンチェスターだったけど、それでも楽しかった(そういう意味では熊本も負けていないし)。英語うまくなったからって人生大きく変わるかどうかわからないけど、でも英語好きだしうまくなりたいし。
留学しようと決めたものの、この歳での留学ともなれば単なる英語の勉強だけで終わるわけにいかないと思いました。でも、正直、これを勉強したい!というモノが無かった。で、その頃ちらっと習っていたグラフィック・デザインのことを思いつき、「そうだ、グラフィックをやりたいんだ、私は!」と、今思えば無理やりそう思い込み、ネットで情報集めをしました。下調べを進めていくと、ロンドン・インスティチュート(現ロンドン芸術大学)の1校であるLondon College of Printing(現London College of Communication)にグラフィックのコースがあるらしいことが分かり、日本にその入学受付機関(ユニコン)があることを知りました。
「すぐに渡英!」というつもりはなく、軽い気持ちでユニコン東京事務所にメールで初の問合せをしました。何度かメール通信をかさねた頃いきなりユニコン・ロンドン事務所から自宅に電話がかかってきて焦りました(そばに母親が居て、しかも留学のことなんて一言も話していなかったので)。自分で電話番号を書き送ったくせに、「いきなし電話はちょっと…」と思いました(笑)。
ゲスト・インタビュー
当時、熊子さんに「いきなりの電話」をかけたS氏にインタビューしました。
質問:どうしてまたいきなり電話をしたのですか? 熊子さん、かなり引いたらしいですよ。
S氏:当時の東京事務所のマネージャーから「すごく遠いところから時々思い出したような感じで問合せをしてくるお客さんがいるんですが、なんかラチがあかなくて」「田舎が熊本で民俗学的にもSさんと近いから同国人として一度コンタクトしてあげたらどうでしょうか?」と報告を受けて、「よし、それなら地元の共通語(九州弁)でわかりやすく説明してパパッと解決してやろう」と思って電話したんですよ。
質問:熊子さんと初めて話したときの印象はいかがでしたか?
S氏:ロンドンからのいきなりの電話で驚いたせいかもしれませんが、なんか、疑ってるような声を出していましたね。てゆうか、オレ疑われているかも、と、ちょっと感じましたよ。てゆう僕も、断言を避けたようなモゴモゴした彼女の熊本訛りを聞いて「ちょっと怪しいかも」と思わなかったわけでもありませんが。九州だからって全県の民族性が同じわけではありません。はっきり言って、福岡は超都会だし県民はオープンだし言葉も熊本ほど訛りが強くないし。(おぉ〜っと、ここで福岡自慢に方向が変わる前にインタビューを終了します)
(2008年4月2日 第3話 終)
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