2008年12月08日
File8.照井亮さん
CSM卒業生がAERA Englishの特集に登場
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Central Saint Martins(CSM、セントラル・セント・マーチンズ)卒業生の照井亮さんが、11月23日発売の「AERA English 1月号」内の特集「海外で挑戦する日本人」に取り上げられました。
照井さんは日本で美大を卒業後、数年のデザイン事務所勤務を経て2005年にユニコンを訪れ、CSMのMA Creative Practice for Narrative Environmentに出願し合格。翌2006年夏に渡英しました。2年間の大学院コースを2008年7月に卒業し、現在はLumsden at Small Back RoomというRetail & Environment(商業空間デザイン)を専門とする英国のデザイン・コンサルタント会社に勤務しています。学生時代にはじめたインターンがきっかけでそのまま就業することになり、現在インターン期間を含め1年半勤務しています。
現勤務先ではインテリアや空間デザインを担当する照井さんですが、日本の大学での専攻は情報デザインだったそうで、学部時代とは全く畑が違います。そのことについて質問すると「たしかに僕はもともと2D(平面)デザイン出身ですが、東京で勤めていた会社がインテリア、グラフィック、プロダクトなど多岐分野をカバーするいわば“何でも屋”だったので、そこで幅広くいろいろなデザイン分野の仕事を経験しました。そこでもっと大きな視点でデザインというものを見て仕事を全面プロデュースできるようになりたいと思うようになったんです。それが留学を決意したそもそもの始まりで、3D(立体)デザインに転向するためにロンドンに来たんですよ。なので、日本での社会人時代の経験と留学で学んだことがちょうどうまくつながって今に至る、と思ってます。」と語ってくれました。
「MAで得た最大の財産は人脈です。コース参加者のほとんどはプロとして何らかの仕事を経験してきた人たちでした。スクリプト・ライターやキュレーターなど、デザイナーだけでなく芸術分野からさまざまなバックグラウンドの人が集まっていました。また、そういう他分野の人たちと一緒にプロジェクトをすすめていくことで、より大きな枠組みの中での”デザイン“というものが分かるようになったことも大きな収穫でした。」という照井さん。現在の会社でのインターンも、コースワークの一環として教授の紹介ではじめたそうで、「教授は各界に広いコネクションを持っている人で、プロジェクトやリサーチをすすめる際にとても役立ちました。ある点で行き詰ると必ずその道の専門家を紹介してくれたおかげで、学校の外にも皆それぞれこの先進んでいきたい方向にマッチした人脈を築くことができました。」とのこと。
ところで照井さん、コースでの一番の泣き所はやはり“英語”だったようです。ブリティッシュ・カウンシル東京の英語コースと、ロンドン芸術大学(UAL)がコース開始前の留学生を対象に行う夏の英語予備校を経てMAをスタートした照井さんですが、それでもクラスメイトとのコミュニケーションには苦労したそうです。大学院課程ともなると、“クラスにたった一人の日本人”という状況も決してめずらしくありません。照井さんの場合には幸いにもあと一人日本人学生がいたそうですが、その彼女はBA(学部課程)から上がってきた人。渡英したての照井さんよりはずっと“現場慣れ”していました。こんな環境のため大学院コースの開始当初は勉強の大変さとストレスでげっそり体重の落ちた照井さんでしたが、それでも奮闘していくうちに同級生たちと互いに刺激しあえる関係を築けるようになりました。「英語に自信があるかって言われたら今でもないですよ、全然。大変で!」と謙遜しながらも大学院を無事に卒業し、英国でデザイナーとして勤務しているのですから、努力が確実に実を結んでいるのに違いありません。「卒業制作提出直前の夏場は今考えると本当に地獄でしたね。6時にインターン先の勤務が終わって、それから夜の11時まで開いているUAL本部ビルの学習スペースに篭ってひたすら作業・・・という毎日でした。週末は別のアルバイトもしていましたし。」と追い込み時期を振り返り、「ずっと走ってきたので、今年の冬は日本に里帰りしてのんびりするつもり」と、やっとリラックスできるという喜びをにじませていました。
「今勤めている会社は、メインの顧客がロンドンの主要美術・博物館という、かなり大きな仕事をしている会社です。なので、そこでもう少しいろいろな経験を積んで実力とハクをつけてから日本に帰って自分のやりたいことを自由にやろうと思っています」と今後の展望を語る照井さん。どのように実現していくのか、今から楽しみです。
AERA English: http://publications.asahi.com/ecs/13.shtml
→ 照井さんの登場ページの“立ち読み”はこちらで:http://digimaga.ocn.ne.jp/
Lumsden at Small Back Roomホームページ: http://www.ldp.co.uk
<写真解説(上から)>
1.照井さん
2.Final Workの写真
3.学校での作業風景
4.Final Presentationの模様
投稿者 unicon : 12:47
2008年11月10日
File.7宮川朋与さん
City大学卒業生 London Symphony Orchestraマーケティング部にて勤務中
宮川朋与さん
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City University(シティ大学)卒業生の宮川朋与さんが、London Symphony Orchestra (LSO) のマーケティング・コーディネイターとして勤務しています。宮川さんは2003年にWestminster大学の一年間のコースに参加し、翌2004年シティ大学のMA in Arts Managementへ進みました。大学院の勉強のかたわらLSOでインターン活動を続け、シティ卒業と同時に社員として就職。現在就業4年目を終えようとしています。
宮川さんは2002年、東京音楽大学のヴァイオリン科を卒業後、1年半楽器店で弦楽器の販売員をしていました。しかし、クラシック音楽の本場ヨーロッパで音楽マネジメントを勉強したいという夢が捨てきれず留学を決意、退職します。留学先の選択としては、「演奏家としての技術留学だと確かにドイツ、ウィーンなどが人気ですが、マネジメントになると、行く先はニューヨークかロンドンが主流です。ニューヨークという選択肢も考えたのですが、英国は大学院を1年で修了できることと、やはりクラシックの本場はヨーロッパだからということで」最終的にロンドンを選んだそうです。
「留学したい」という希望自体はかなり早い段階から持っていたそうで、きっかけは「中学のときにバングラデシュへ行ったことだった」というめずらしいエピソードの持ち主です。「中学生の時の私は今よりもずっと貧しい国に住んでいる人の事を考えていて、先進国は途上国にどういう援助をすべきかというテーマでNGO主催の作文コンクールに応募したんです。それで入選して、バングラデシュへ2週間旅行に行く機会を得ました。そのときの体験がとても強烈でした。はじめの1週間は首都ダッカへ滞在したのですが、後半は奥地の田舎の村へ行ったんですね。そこで本当にショックを受けて・・・。とにかく、誰もがすごく貧しいんです。今まで、日本でぬくぬくと育って、恵まれた生活をしながら国際援助だ開発だ、って偉そうに言っていたのが、急に現実を突きつけられてガーンと頭を殴られたような感じでした。それで、もっと世界を見なければ、と思うようになったんです。」「でも、その一方で、バングラデシュの人たちはとても幸せそうなんですね。大人も子どももいつもニコニコしているし、言葉がわからない私に一所懸命話しかけてくるし、しきりに自分の食べ物をおすそ分けしようと勧めてくれるおじちゃんがいたりして。で、そのおじちゃんのくれたものを食べてお腹を壊しちゃったりするんですけどね(笑)。でも、そういう意味で彼らはすごく豊かなんです。日本に帰ってくると、ものは溢れているし生活は恵まれているのに、なんだかみんな疲れた顔をしてる・・・というのが印象的でした。とにかく、この狭い世界の中だけに居てはいけないのだ、とこの経験を通して強く意識するようになりました」という宮川さん。高校卒業時、ちらりと「米国の音楽大学へ進学しようかな」とも考えたそうですが、結局東京で音大に進むことになります。
ところで、もとはヴァイオリン奏者を目指して大学に入学した宮川さんでしたが、裏方に転向したことについてこのように語っています。「在学中にコンサートの企画をしたり、オーケストラの事務所でインターンをしたりという経験を通して、演奏家を支える役割にとてもやりがいを感じたこと、また演奏家としての自分の才能の限界を感じ、三流の演奏家になるより一流の演奏家を支える一流の裏方になりたいと思うようになりました。」「私は都立の普通高校に通ったので、まわりに音楽、とくにヴァイオリンをやっている子はほとんどいなかったのですが、音大に入学すると当然周りは皆上手ですよね。練習にしても、一日7時間も8時間も弾いてもまだまだ足りない、ひたすら楽しい!という子がたくさんいる中で、私は”3時間やったから今日はもうおしまい・・・ “みたいな感じで。そうしているうちに、演奏家というよりは彼らを支える仕事のほうに目が向くようになったんです。」
渡英時のコース選択については、「音楽マネジメントのコースと決めていたので、音楽系に強い大学を探しました。City大学とGoldsmiths College、Westminster大学が候補に挙がったのですが、まずはWestminsterで語学の勉強、マネジメントの基礎を勉強しました。音楽といってもここはRockやPopに強いのですが、語学の
コースが充実していたのとインターンも含まれるプログラムだったので“充実した一年間を送れそうだな”、と思って選びました。」
Westminster大学在学中に、City大学へ出願するためユニコンを訪問。まずはIELTSのスコアを上げるようアドバイスされ、IELTS7.0を取得した後出願し、無事に合格しました。「City大学のMA Arts Managementは非常に評判がよく、モジュール内容も自分が学びたいことを網羅していたのと、キャンパスがロンドンのzone1内にあり、バービカンセンターを含む各コンサート・ホール、美術館等へのアクセスがよかったのとでここを第一希望にしました。」「英国ではただやみくもに自分で出願したりコンタクトしても無視されるということが非常に多いのです。なので、City大学も、そのまま自分で申込をしてたらきっと入学できなかったと思います。アドバイスを受けてしかるべき準備をし、ここぞというタイミングでユニコン経由で申込をして本当によかったです。」と謙遜しながら語ってくれた宮川さんですが、「目指した道を全うする」というガッツは人一倍だったようで、それがCity入学から卒業、就職までの流れに大きく働いたことは言うまでもありません。
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実は宮川さん、Westminster在学中に始めたLSOでのインターンを、Cityでの大学院時代にも続けていました。このインターン自体も、渡英直後から「絶対にオーケストラで働きたい」と周囲にアピールし続けて得たポストでした。大学院は週に3日の授業とはいえ、残りの日も通常勉強に追われて終わるのがほとんど。ところが、宮川さんはこのうちの3日をインターンに充てていました。「きつかったですね・・・。とにかくずっと働くか勉強かのどちらかしかしていなかったですね。もう絶対にあんなことは無理だしやりたくないですね~!」とさわやかに笑っていましたが、インターンと両立しながら修士論文を仕上げるのは一言では言えない大変さだったようです。それでも、「Cityではクラスメートの国籍が様々で、世界中からいろいろな分野のアートが大好きな人が集まっていました。色々な文化背景が学べるとともに、“アートが好き“という共通項でつながれるのでとても楽しかった」そうです。また、「アート・マネジメントは実学なので、今考えると、インターンしながらというのは逆によかったのかもしれません。インターンで経験したことがそのまま修士論文のテーマにつながったので」とも。
シティの卒業が近づいた頃、ちょうどインターン中のLSOマーケティング部門で急にポジションの空きが出て、社員の募集がかかりました。外部募集と同時に内部応募も可能だったため、宮川さんはこのポジションに応募、採用が決まり社員として就業することになりました。「私はEU圏外の人間なので、普通だったら採用してもらえなかったと思いますが、インターンをしていたおかげで職場の同僚と顔なじみだったこと、マネジャーが私のことを信頼していてくれたこと、日本の学生時代の裏方経験などが重なって採用が決まり、労働許可証を申請してもらえることになりました。チームには即戦力が必要だったし、やはり、こういうのは縁ですからね・・・ラッキーだったと思います。」と振り返る当時から早4年、忙しくも充実の日々を送っています。
「この仕事は、担当コンサートであれば夜も土日も出勤ですし、決して高給でもない、本当に音楽が好きでないとできない仕事です。でも、やはりクラシック音楽が大好きな仲間と協力して仕事のできる喜びは何物にも代えがたいものがあります。」と語る宮川さん。「一流の裏方に・・・と思って渡英してきましたけど、5年が経った今でも未だに一流の裏方とは程遠いんですよネ。でも、がんばります!」と今後への意気込みを見せてくれました。今後の活躍が楽しみな一人です。
宮川さんの勤めるLSOのホームページ
http://lso.co.uk/home/
<写真解説>
1.宮川朋与さん
2.学生時代の寮でのパーティ
3.LSO野外コンサートの様子
投稿者 unicon : 11:31
2008年10月22日
File6. 小澤深雪さん
Johanna hoプレスのLCF卒業生
London College of Fashion(LCF、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)卒業生の小澤深雪さんが、ロンドン発のファッション・ブランドJohanna hoのプレスとして活躍中です。1998年に渡英、1999年にLondon College of FashionのFashion Promotion Mediaコースを卒業し帰国。以降ファッション業界でキャリアを積み、2004年から現職です。次回コレクション用ルック撮影のためにロンドン出張中の小澤さんをスタジオに訪ねました。
「小さい頃から留学したかった」と早いうちから海外に目が向いていた小澤さんですが、ご両親の希望もあり日本で短大を卒業後、2年半成田空港でJALのグランド・ホステスとして勤務しました。「このときの先輩・同僚は誰もが“英語は当然、第2外国語がどれそれで・・・”という世界でした。そんな環境の中、わたしは自分の語学力にいまいち自信がもてないままだったんです。そこで、やはり英語をしっかりと身につけようと決意し、“もう、行く!”と、子どもの頃からの夢だった留学へ乗り出すことにしました。JALの先輩方が皆英国つながりだったので、留学先に英国を選んだのは自然な流れでした。」
じつは小澤さん、渡英当初は「3ヶ月位の語学留学のつもりでオクスフォードの英会話学校へ入学した」そうです。しかし、すぐに「これでは短すぎる!」と思うようになり滞在延長を決意。「一度社会に出ているのだから今さら英語学校で1年はないな、と思い」大学、専門学校などの高等教育機関へ入学するため学校探しをはじめました。「英語の習得が目的だったので、分野は何でもよかった」そうですが、もともと写真とジャーナリズムに興味があった小澤さんは、写真、とくに報道写真の学べる学校をリサーチ。しかし、やっと見つけたコースは既に満員でした。そこで、ファッションという分野ではありながらも写真がコースの重要な部分を占めるFashion Promotion Mediaに辿り着きました。「PRには全く興味なかったんですよ。でも、ファッションは好きだったし、このコースなら写真ができるのでまあいいかな、と。・・・とはいっても、ファッションの世界はディズニーランドみたいなものというか、好きだからこそ楽しいまま夢の中に置いておきたくて、実際その業界に入っていきたくはなかったんですけどね」という彼女が現在はファッション界でプレスをしているのですから、人生はわからないものです。
「コースは死ぬほど大変でしたよ。それはもう(笑)・・・10科目くらいあって、毎週なにかの課題のassignment(提出)があるんです。毎日、平均して3~4時間しか寝ていなかったですね。よく遊んでもいたし。学びも遊びも激しくやってました」という彼女。一番心に残る課題は?と聞くと、「全部ですけどねぇ!でも、やはりFinal Projectかな。全科目のなかから3つを選んで好きなことをやる、というものだったのですが、私は写真、Journalism、PRを選び、ヨウジ・ヤマモトのコレクションのプレス・パックを作りました。全部手作りで、それはそれは大変でしたけど、すごくいい出来でした。今でも自分で大切に持ってます」と教えてくれました。
そうして卒業を迎えた小澤さんは「コース中はとにかく忙しかったので、卒業後の就職についてじっくり考える暇もなく、そのまま」日本へ帰国。学部進学で残ることも考えたけれど、「とにかく英国は寒かった」のと、「一度社会人になっているから、あまり長々学生に戻っていても仕方がない。早く社会復帰しなくてはという気持ちがあった」のとで帰国することにしたそうです。帰国後の職業については、編集者か、PRか、はたまた全くファッションとは関係のない英語を使った仕事か・・・と少し悩んだものの、「せっかくファッションを学んだのだから、この分野でやってみよう。編集者というのは誌上でイメージを作り上げていく仕事なので、現実から遠い。デザイナーの近くにいたほうが“リアル”に近く、もともと報道に興味のあった自分には向いているのでは」という結論に達しました。そこで、最も好きなファッション・ブランドであったComme des GarconsのPRに「募集はしてなかったですけど、勝手に」応募履歴書を送りました。すると「今PRには空きがないが、まずは販売としてやってみてポジションが空くのを待たないか」と誘われ、3年販売を経験しました。
そんな3年目、このまま販売をやっててもいつ空きがでるかも分からないしなぁ・・・と思っていたところ、たまたま知ったPR志望者のためのセミナーに参加したことが次の転機になります。そのセミナーの主催者の女性から、「このまま待っていてもいつ空くかわからないでしょう。あなたはプレスにとても向いていると思うし、このままではもったいないので、私が直接指導するからウチに来なさい」と彼女のプレス・オフィスで就業することを勧められます。そこで2年勤めることになるのですが、そのときにJohanna hoの担当をしたことが今の仕事につくきっかけでした。退職後まもなく、デザイナーのJohannaさんから直々に「新しいところと契約するから、あなたにぜひ私のプレスとして来て欲しい」という連絡が入ったのです。前職を退職したばかりでしばらく休もうと思っていた小澤さんは何度も断ったそうですが、結局デザイナーの熱意に負けてすぐに現場
復帰、以来Johanna hoのプレス担当をして4年目になります。「カタログや雑誌、広告イメージの撮影のときにデザイナーに任せておくと、アーティスティックになりすぎて自己満足の作品となってしまい、本当の意味での広告として使えない。そこで、撮影現場に来てそれをコントロールするのも私の役割なのです」ということで、定期的に海外出張もこなさなくてはならない多忙な小澤さんですが、Johannaさんとの関係はすこぶる良好なようです。じつは小澤さん、この11月に結婚が決まっているそうですが、ウェディングドレスはJohannaさんがデザインしてくれるとのこと。先日は香港に仮縫いに行ってきたそうで、仕事が国際的だとドレスの仮縫いも国際的?!式の様子をぜひ見てみたいものですね。
ロンドン留学について振り返ると、「やはり、英語を習得したことは大きかったですね。すごい武器になりました。英語のスキルなくして今の仕事は成立しないのですが、ファッション業界の様々な職種の方(ヘア・メイク・フォトグラファー・デザイナー含め)も、英語ができた方が仕事の幅がとても広くなりますよね。ロンドンが人生の大きな転機になったか?!というと、ウーン・・・よくわからないですけど、(ロンドンに)来ていなければ今の仕事は絶対にしていなかったし、重要な出来事だったとは思います。以来なんだか不思議な縁でここまで来ていますしね・・・」とのこと。
「今後、家庭や子どもを持つことを考えると、このまま続けていくのも難しいかもしれないので、また別の職業や働き方もあるかな、と思っています。ま、やりたいとさえ思えば何でもアリだと思っているので、あまり難しくは考えていません。こういったフレキシブルな考え方はロンドンに来てタフになったからこそ身についたのかもしれませんね」と今後の展望を語ってくれた小澤さん。さらなる活躍が楽しみです。
小澤さんとスタッフ(たまにJohannaも)による、プレス裏話や店頭情報などのブログを公開しています。
ロンドンでの撮影風景やレポートもありますので、是非チェックしてみてください!
OFFICIAL HP http://www.johannaho.jp
<写真解説(上から)>
1.今回お邪魔したスタジオでの撮影風景(左奥が小澤さん)
2.Johanna ho 08/09 秋冬のファッション・ショー in Tokyo Fashion Week
3.撮影風景2
4.撮影風景3
投稿者 unicon : 12:54
2008年09月12日
File5. ロバータさん
CSMグラフィック・デザイン学部在籍中の学生が歌手&女優デビュー
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Central Saint Martins(CSM、セントラル・セント・マーチンズ)在学生のアイアトン・イザベラ・ロバータさんが、日本で歌手&女優デビューしました。「ロバータ」の名前で活動中です。
「まだまだ駆け出しですが、(歌手、女優、デザイナーと)3足のわらじで頑張っています!」とさわやかに話してくれたロバータさんは、笑顔の印象的なかわいらしい女の子です。
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「去年チェルシーに行った、あのロバータちゃんが雑誌に出てますっ!」
ユニコン関係者随一の芸能情報通からこんな連絡があったのは、英国大学の最終学期も終わりに近づく頃。
えぇっ、もうデザイナーとして脚光を浴びてるの?!ロバータさんといえばまだセント・マーチンズのグラフィック・デザイン学部1年生のはず・・・驚くユニコンに対してさらに「いやいや、デザイナーとしてじゃなく、女優さんの卵として出てるんですよ」と重ねる情報通。なるほど、やはりその方面に・・・と、遡ること3年前、ロバータさんとの最初の出会いを感慨深く思い出しました。
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3年前のある日、東京事務所に一本の英語での電話が入りました。電話の主はロバータさんのお父さん。ロンドン芸大にActing(演技)のファウンデーション・コースはないか、という問合せでした。当時ロンドン芸大では、セント・マーチンズが吸収合併した演劇学校ドラマ・センターでファウンデーションの実施を計画はしていたものの、あくまでまだ計画段階。早くて翌年からの開始予定でした。そこで、幅広く感性を磨くためにアート&デザインのファウンデーションをやるのはどうかと提案したのです。
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すると、日本のインターナショナル・スクールでアートを取っていたロバータさんはデザインにも興味があるということが判明。「それでは、まずはこちらでやってみよう」と、ロンドン芸大チェルシー・カレッジのファウンデーション・コースを受験する運びとなったのでした。デザインがいいな、でもひょっとしたらファイン・アートもやりたくなるかも、という初々しい高校生だった彼女ですが、無事にチェルシー・ファンデへの進学が決定。翌年はセント・マーチンズのグラフィック・デザイン学部へ進み、そして今回の歌手&女優デビューとなりました。
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ところで、ロバータさんは名前やルックスこそインターナショナルですが、生まれも育ちも日本、第一言語は日本語というバックグラウンドの持ち主。もちろん、純粋な日本人家庭に育った学生たちよりはずっと国際的な環境に育っていますが、やはり日本と英国の文化の違いや美術教育の違いに驚くことも多かったようです。ロバータさんのブログ(後ほど紹介)を読んでいると、毎日の新鮮な驚きがよく伝わります。例の情報通が持ってきてくれた、ファッション・ブランド「マドモワゼル・ノンノン」の広告インタビューのなかで、彼女はこう語っています。
「いま、グラフィックというとコンピュータを連想しますけど、私が通う大学では、手で描くこと、手で創ることの重要性を教えられています」
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まさしく、ユニコンがよく口にするフレーズ「とにかく手、アナログ手作業」を証明してくれるかのようなコメントです。分かってはいるものの、やはりこういう現場の声を聞くと「やっぱり、そうなのだなぁ」と改めて納得させられます。「クリエイティブ」というのはどういうことなのか、ロバータさんも日々肌で感じているのですね。このような美術教育を受けることでパフォーマーとしての感性が磨かれ、また歌手や女優という仕事を通してデザインの勉強にも新たな視点が生まれる、という良い循環が生まれることを期待して、ロバータさんの今後の活躍を応援したいと思います。皆さんもぜひ、テレビや雑誌、ラジオなどをチェックしてください。
ロバータさんオフィシャル・ブログ http://ameblo.jp/ysabella/
投稿者 unicon : 15:40
2008年08月29日
File4. H.Yさん
Chelsea卒業生が欧州系の国際アパレル企業日本立ち上げメンバーに
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Chelsea College of Art and Design(チェルシー・カレッジ)卒業生のH.Yさんが、欧州系アパレル大手の日本事業立ち上げのマネジメント・メンバーに採用され、ヴィジュアル・マーチャンダイザーとして就業しています。
本人の希望により、彼女の本名や社名をまだ公表できないのが残念ですが、日本への上陸が待ち望まれていた大手国際アパレル企業で、今後の発展が楽しみです。
Hさんは2006年、ChelseaのGraduate Diploma in Interior Designに入学し、翌2007年夏に帰国しました。東京の大学で英米文学科を卒業した後、主にアパレル・繊維業界で就業経験を積んだHさん。そのなかでヴィジュアル・マーチャンダイザー(以下VM)という仕事に出会ったのが彼女の転機になりました。「前職でVMを経験したとき、これが天職だと感じ、VMとしての自分をもっともっと高めたいと思いました。そのために自分に足りないものを少しでも補うための努力をしたいと思い、考えた末に留学・退職を決めました。それからユニコンとの出会い、念願だったアート&デザインの勉強と語学力を高めるための留学をし、現在に至っています。」と振り返るHさんがロンドンへ渡ってきたのは31歳のときでした。
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「あの留学は本当にかけがえの無いものだったと誇りに思います。IELTS、極貧、課題etc…よくやったなーって思いますよ!」という一年間を終えて帰国した後、就職先を探そうと動き出したときに、日本事業立ち上げのマネジメントスタッフを探していた現在の就業先との出会いがありました。当時はまだ日本国内にオフィスもない段階で、面接する場所すらおぼつかないという状態だったそうです。そんな「初期の初期」段階からVMとして立ち上げに参加することになったHさん。入社と同時にヨーロッパをはじめ世界中を研修で飛び回っていましたが、今月やっと日本へ戻り、日本1号店のオープン準備に突入します。
「今でも、人に感想を聞かれると一言で”大変だった“と答えますね(笑)。決して笑って”楽しかったよ~“なんて言えませんからね~」というHさんですが、そんな諸々の試練を乗り越え、「かけがえのない留学生活だった」と言い切れる今、こんなコメントを寄せてくれました。
「今回の留学を経験し、“思い続けていることは、ちゃんと叶えられるんだな”と実感しました。“気持ち”は勇気につながって、それは“思い”を形にしてくれる。そんな人生をこれからも歩んでいきたいって思います。」
ところで、Hさんの「大変だった、笑えない」でも「かけがえのなかった」留学生活とはどんなものだったのでしょう?Hさんが留学時代の様子を語る体験談、興味のある方はこちらを訪れてください。
<写真解説>
1.課題をすすめるにあたり、実験とそのスケッチを何度も行う。これはそのmodel sketchの一部。
2.最終のプレゼンテーション・ブックの一部。
投稿者 unicon : 12:16
2008年08月15日
File3. 早野実希子さん
常に新しい“美と健康”を追求し続けるLCF卒業生
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London College of Fashion(LCF、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション)卒業生の早野実希子さんは、現在、名古屋と東京・六本木で内外美容を提唱するサロン「ABSOLU HERBEEN」を展開しています。「Absolu Herbeen」とは、フランス語で絶対という意味の「Absolu(アブソリュ)」とHerb(ハーブ)を体内に取り込むという意味の造語「Herbeen(ハービン)」を元に生まれた名前だそうです。表面的な「美容」だけでなく、ホリスティック(総合医療)の考え方を取り入れた早野さんのオリジナルトリートメントは、著名人を含む世界中の多くの顧客から支持されています。
じつは早野さんには、LCF留学当時の2000年、ユニコンのホームページにコース奮闘記を寄稿してもらっています。早野さんの通っていたコースはBTEC HND Beauty Therapy and Health(現FdA Beauty Therapy and Health Studies)。
当時の寄稿文からも、常に高い目標を持って全力で突き進むという早野さんの真摯な姿勢が伝ってきます(早野さんの留学生時代の寄稿文はここから)。
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「ロンドン留学が私の人生で最大の転機でした」と振り返る早野さん。薬科大学を卒業後、薬剤師として特に漢方への造詣を深めた後、さらなるキャリアアップと自身の人生のテーマである「美と健康の追求」のための渡英でした。
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ところで、この早野さんも、前回ここで紹介した上田美和さんと同じ29歳で留学をスタートしています。帰国後すぐに地元で自分自身のビジネスを立ち上げ現在に至る、という経緯も同様です。分野は全く違うものの、ほぼ同時期に同じ年齢で留学してきた女性二人、こうしてそれぞれ活躍しているのを見ると頼もしい限りです。留学時の年齢について、当時の早野さんも上田さんと同じく「29歳では遅いという人もいましたが、私にとっては最良の時期だったと思います」と語っています。
「タイミング」というのは人それぞれ違います。高校卒業後すぐに海外へ出ることがベストという人もいれば、上田さんや早野さんのように、大学卒業~まとまった期間の就業という経験を経ての留学がベストという人もいます。留学年齢に模範解答はなく、「自分が今だと感じたときがそのとき」なのだということを、彼女たちの人生から教えられる気がします。
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東京・六本木店は完全プライベート制のため予約者のみに所在地が伝えられます。六本木ヒルズから徒歩3~4分の好ロケーションです。名古屋店は地下鉄東山線藤が丘駅を出てすぐ。詳しくは早野さんのホームページを訪れてください。彼女が登場しているメディア紹介もあるので要チェックです。あなたの部屋にある雑誌にも、早野さんが登場しているかもしれませんよ。
Absolu Herbeenホームページ http://absoluherbeen.com
<ABSOLU HERBEEN NAGOYA(名古屋)>
〒456-0048
名古屋市名東区藤見が丘13
Tel: 052-775-1966
<ABSOLU HERBEEN ROPPONGI(東京・六本木)>
完全プライベート制のため住所非公開
(予約時に案内)
Tel: 03-6638-6979
投稿者 unicon : 10:56
2008年08月04日
File2. 池田中也さん
CSM卒業生がRoyal Academy Summer Exhibitionに出展中
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Central Saint Martins(CSM、セントラル・セント・マーチンズ)卒業生の池田中也さんの作品が、英国Royal Academy of Arts(RA)で開催中のSummer Exhibition 2008にて展示されています。RAのSummer Exhibitionはロンドン美術界の夏の風物詩で、世界最大規模の現代美術の展覧会です。なんと、1769年から中断することなく開催されていて、今年で240回目を迎えます。有名・駆け出し問わず幅広い作家の作品が集められ、今年も1200以上の作品が展示されています。
池田さんは2004年、ロンドン北部の高級住宅地Highgateへ降り立ち、St Gilesカレッジで英語の勉強をスタート。その後、CSMのGraphic Portfolioコースを経て翌2005年に同カレッジのMA Communication Design(Graphic Design)に入学しました。2年間という英国では珍しい長丁場の大学院コースでしたが、2007年に卒業し、現在に至ります。留学のきっかけからここまでの道のりを池田さんにインタビューしました。
池田さんは日本で広告代理店のアートディレクターとして働いていましたが、職を辞して留学しようと思った動機は何ですか?
約5年間働いて、ある程度、仕事の仕方が分かってきたんですね。また、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、日本社会の閉塞感はデザインの分野にもあまり良い影響を与えていません。さらに日本のデザイン界、アート界含め「海外」「世界」というものに憧れつづけているわけで、これは自分も同じだったんです。そこで、実際に肌でそれらを感じてみたいというのが一番の理由でした。また、自分のなかのデザインの“引き出し”を増やす意味でもありました。
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語学学校の後、まずCSMのGraphic Portfolioコースに進みましたね。
はい。初めて西洋の「クリエイティブ」の考え方を垣間みることができて、とてもおもしろいコースでしたね。ビギナーから経験者までさまざまなレベルの生徒が受講することができますが、2週間で一つの作品を作らなくてはならず、とてもハードなコースでした。でも、その分ためになったと思います。
私は日本の美大も卒業していますが、基本的にイギリスでも、コンセプトの組み立て方などは日本のそれと変わらないと思います。しかし、コンセプトの“切り口”が違うというか、物事を違う方向から眺めてみるというか・・・。それでいて、表現手法はプリミティブだったり。全然ハイテクでなく、手作業を多用するのです。それはセントマーチンのスタイルとでも言えるのかもしれませんが、さすが、発明の国イギリスといった印象でした。故に、デザインにもかかわらず、難解な作品も多いですね。この独特のスタイルを理解するまでは少し苦労しました。
次の大学院コース、MA Communication Design (Graphic Design)はどうだったのでしょう?
MAでは、BA(学部)と違って自分で課題を決めなければなりません。さらにそれに対して大量のリサーチを一週間毎のチュートリアルの際に持って行かないといけませんでした。時には、辞書の厚さになるようなリサーチを求められる事もあります。それを西洋人はすんなりやって来る事が驚きでしたね。この年のクラスメイトは多くて、100人弱、国籍では38カ国と言っていました。そういった中で、彼らの作品や、モノを作る事に対する姿勢には敬意を感じずにはいられませんでしたね。クラスメイトの顔ぶれは、もちろんMAということもあり、既にデザイナーやフォトグラファーの経験をしてきている生徒が多かったです。年齢は20代後半の生徒が多かったですが、なかには40歳ぐらいの生徒もいました。わたしたちの作品は以下から見る事ができます。
http://www.net-arte.com/macd2007/index.asp
英語についてはどうでしたか?池田さんは「社会人経験者=英語に久しく触れていない」ということで苦労したのでは?
とても(笑)。語学学校時代に基本的な事は習ったとはいえ、美術学校となると、それ独特の言葉や表現がありますから大変です。そういったアート英語は、Graphic Portfolioコースで次第に学ぶことができたと思います。が、それでも作品のコンセプトを説明する際はさらに、広く一般的な言葉まで憶えないといけないし、さらに複雑なコンセプトとなると、もう大変で(笑)。日本で大学に入ってしまうとほとんど英語の勉強などしない上、私の場合はさらに社会人歴が5年あるので、渡英してからの英語学習にはかなり苦戦しました。なので、いま留学を考えている方は、受験勉強をしたときのように地道に英語に向きあったほうがいいと思います。
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プレゼンが大変なあまりマッシュルームヘアのかつらを被って緊張を紛らわしたとか(笑)?
ええ(笑)・・・って、それは冗談ですが。マッシュルームヘア+スーツ+白手袋の格好でハイドパークの“スピーカーズ・コーナー”でパフォーマンスをしたのです。それもGraphic Portfolioコースの課題の一環で、プレゼンテーションの練習の一つでした。結構笑ってもらえたので一安心しましたが(笑)。
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MAコースでの池田さんの作品について教えてください。
作品の大きなテーマは「ギャップ」です。私がイギリスに来て初めて感じたのはそれでした。文化間のギャップであったり、世代、ジェンダーのギャップであったり。もしそのギャップを埋める事が可能ならば、我々のコミュニケーションはさらにスムーズなものになるのではないか、というのが起点です。結局それは不可能、という結論にMAで書いた論文で行き着いたのですが・・・。かといって、それは悲観的な結論ではなく、お互いが近づくためのコミュニケーションの媒介としてデザインやアートが存在すべきだし、それによってあらゆる隔たりを超える可能性があると結論づけました。私の通ったセントマーチンのMAコースでは論文を書いたあとに作品を作るのですが、この方法は頭の整理に大変役立ちました。作品では、最終的にその「ギャップ」そのものを表現しました。このシリーズは卒業した今も制作を続けています。ちなみにその後、MAの卒業作品をUALのコレクション(ボンドストリートのUAL本部4Fに常設展示)に入れていただきました。
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MAコースを終え、今年は展覧会の機会がぐっと増えていますね。
はい。RAのSummer Exhibitionを皮切りに、Jerwood Drawing Prizeにもノミネートされました。とくにアートビジネスに於いての話ですが、日本の美大と違って、こちらの大学は社会と“近い”と思います。美大以外の大学もそうなのかもしれませんが、特にアートの分野になるとより近いと感じるのです。このようなexhibition(展覧会)で購入者を見つけられることはもちろん、大学の卒展でさえ作品の売買は“普通”なんですね。世界的な経済の視点からみても、ロンドンにはアート購入者やギャラリーが多いし、それより以前に、西洋の人々は個人レベルでアートを購入して行くことが驚きでした。実際卒展でも、展示をみた学生から私の作品を買いたいというオファーをいただきました。こうして一般の人々が西洋のアート界を支えているのを目の当たりにして、「いい環境だな」ととてもうらやましく思えました。そういう意味で特にアートを志す人であれば、ロンドン留学を強くお勧めしますね。
<池田さんの展覧会情報>
●Royal Academy of Arts Summer Exhibition (開催中~2008年8月17日)
http://www.royalacademy.org.uk/exhibitions/summer-exhibition/
●Jerwood Drawing Prize 2008(現在、賞は審査段階 2008年9月17日~10月26日)
http://www.jerwoodspace.co.uk/
●Patrick Heide Contemporary Art(2008年10月予定)
http://www.patrickheide.com/home_en.php
●London Art Fair(2009年1月)
http://www.londonartfair.co.uk/page.cfm
投稿者 unicon : 15:21
2008年07月22日
File1. 上田美和さん
LCC卒のジュエリーショップオーナーが留学体験談を出版(ゆにこんも登場します♥)
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London College of Communication (LCC、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション)卒業生の上田美和さんが留学体験記「29歳!運命のイギリス留学」(今井出版)を出版しました。
上田さんは2001年、ブライトンでの語学留学を経てロンドンへ上京。LCP(London College of Printing、現LCC)で当時開講されていたAccess to Display Designに入学(現ABC Diploma Display Designの前身)。その後ビジネス系の勉強のかたわらロンドンでアルバイトも経験し、計3年半の留学生活ののち帰国。地元・島根県は松江に戻りジュエリー・ショップ「Miwaris Jewellery」をオープンしました。
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2008年6月末には夢だったジュエリー・カフェもオープンさせ、地場起業家として活躍しています。カフェ・オープンの当日は友人のアーティストがライブイベントを開催するなど、大勢の来客で盛り上がったそうです。「これから少しずつ地元での認知度を広め、皆様にゆったりとくつろいでいただけるスペース作りを実現していけたら」と語る上田さんは、今世間で注目を浴びる「東京以外で活動し、地域に根ざした文化を創る若手人材」の好例です。
外国語大学の英語科卒業後、商社・インテリア関係企業でのOL生活をしながら「将来ヨーロッパからの輸入家具や、インテリア雑貨を扱うショップをオープンしたい」という夢を持っていた上田さんがイギリスに留学したのは29歳のときでした。上田さんは自著序文でこう振り返っています。
「留学当初、私は29歳!30歳を目前にしての留学には色々な思いがありました。夢を諦めたくない、30歳はイギリスで迎えたい、行くなら今しかない!様々な思いを抱えていましたが、これだけはいえることは当時の私には、その時、そのタイミングで渡英することが何より自然なことに思えたのです。」
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そんな上田さんが3年半を英国で過ごした後、どういう風の吹き回しか地元の松江にジュエリー・ショップをオープンすることに・・・。「え、なんで?!インテリア雑貨はどうなったの?そしてどうして松江なの??」・・・続きはぜひ、本を読んでみてください。
以下は上田さんからのメッセージです。
「イギリス留学の経験から生まれたジュエリー・ショップ。たくさんの偶然の出会いが形になり、夢の実現につながりました。イギリスでお世話になった全ての人に感謝しながら毎日新作ジュエリーをお作りしています。カフェスペースを備えたミワリスジェエリー。ジュエリーを選びながらお茶とスイーツも楽しんでいただける癒しの空間です。お近くにお越しの際は是非お立ち寄りくださいませ。」
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<上田さんのお店>
Miwaris Jewellery
ショップHP http://miwarisj.com/
〒690-0843島根県松江市末次本町30
tel&fax 0852-27-5829
e-mail miwaris@nifty.com
<上田さんの留学時代のブログ>
29歳!運命のイギリス留学 http://ameblo.jp/milkrose
投稿者 unicon : 15:02