2007年07月27日

音楽の都ウイーン? 芸術の都パリ??

今は昔、音楽といえばウイーンだし芸術といえばパリという街を連想した時代があった。ところが時代は移り、近年のグローバル化と情報化は国内外を問わずそれぞれの地域の文化や特色を消しさろうとしている。つまりアレをやりたいのならどこそこといったことが言えない時代になったのだ。

グローバル化の顕著な姿のひとつに、世界の共通語が英語となってしまったことがあげられる。世界中どこへいっても英語というコミュニケーション・ツールでもって仕事ができたり、交流できたりするわけで、これほど便利なツールはない。しかし政治やビジネスは言うに及ばず科学や文学そして音楽,アート,デザインなどに至るまで「英語化」=グローバル化は進めば進むほど、英語を母国語とする国々がさまざまな分野においてゼッタイ的に優位に立つのは当然だ。まさしく「言語を制するものは文化を制する」とばかりに英語圏諸国の影響力や発言力は増している。一方非英語圏諸国では英語スキルがあるとナシでは大きなハンディを背負うことにもなりかねず、英語力の強化に腐心している。

近年、英国の多くの大学ではドイツ語学科が急激に消滅している。またフランス語やイタリア語など他のヨーロッパ言語のコースも同様に縮小している。そのような傾向はグローバル化の副産物と言えるもので、世界中が英語という一つのコミュニケーション・ツールで結ばれるのであればわざわざ違った言語を苦労して勉強する必要がないと考えるのは当然かも知れない。例えば日本の国内に目を移しても同じようなことが言える。テレビや通信の発達による情報の共有化はそこで使う言語(ここでは標準語)を通じて行われているわけで、その結果、方言は消滅し地方は東京化して行く。世界に目を移すとそれと同じようなことが起こっているのだ。

英語の共通語化により、情報やビジネスが英語圏ないしは英語が通じる国々に集中するのは当たり前だし、文化の集中化も始まっている。当然さまざまな能力を持つ世界中の人々がそこに集まり、彼らが活躍し成功する機会も大きくなる。その結果、音楽や芸術の都が最早(もはや)ウイーンやパリではなく、ロンドンやニューヨークになってしまったように思う。多くのアーティストが世界に目を向けたとき、自然に当たり前にロンドンやニューヨークを目指すのは仕方ないことかもしれない。

先日、日本のある学校関係者と話をしたとき、「やっぱし芸術の勉強はパリですよね~」と化石のような発言をするので、「それは福岡から札幌に留学するようなものですよ」というと不愉快な顔をされた。「だって、このごろは東京で食べる九州ラーメンのほうがバライエティは豊富だし福岡のよりおいしかったりしますよね~。パリに行くということは福岡の屋台ラーメンだけを食べに行くということですよ。」と続けるとよほどムカついたのか顔を赤くしていた。

投稿者 unicon : 2007年07月27日 16:29