留学体験記

【コース体験記】Yuta Yamanaさん:セントマーチンズ、ファッション学部(Womens Wear)到達までのヒストリーを語る

2011.02.15

BA&MA課程


セントマーチンズのファッション学部。どの科も狭き門ですが、中でもBA Fashion (Women’s Design)は40足らずのスペースに2000人以上の申込者が殺到する世界一の激戦区です。そのオニ激戦区から2010年度は4名のユニ学生がオファーをゲット。嬉しい誤算ね、と合格者リストを見ると、『灘高校卒』というのが。灘を出てファッション?トーダイとかキョーダイとかに入って卒業したらコームインとか大手企業に就職っていうのが灘の定番ルートでしょ?何考えてファッション道へ?面白そうだから本人に直接聞いてみようっと。

こんにちは、Yamana君、お久しぶり。去年2月のセントマのBAインタビュー前日に「家に一人でいると落ち着かないから」と狭いロンドン事務所内をウロウロしながらライバル(同じコースを狙っているファウンデーション・コースの仲間たち)の不運を心の底から祈った日以来ですよね。たく、自分の目的を達してしまったら後は音沙汰なしですもん学生って現金よね。
さて、きょうはユニコンのために一肌脱いでいただきますか。
セントマという名前のブランドネームが先走りしているせいか、「セントマでは服を作る技術なんかいらない」「作らないどころか服地に触ることさえない」「てゆうか普通の人が着てそのまま外を歩けるような服のデザインはご法度」なことすら知らずに’とりあえずセントマーチンズでファッション’という人が多いでしょ?
そこで、ファッションと言えば服を買うくらいしか能が無かったYamana君が「デザインする」ファッションに興味を持ち、ついには世界最大級の激戦区に参入するまでのヒストリーに目を付けたのよ。セントマでファッションするってのがどんなことなのか、『コンセプト』って何なのか、どうすればこの激戦区最後の決戦(学部入学審査)にまで漕ぎつけることができるのかをセントマ・ファンに理解してもらうのに一番ピッタリなモデルだと思ったから(と、相手の意思は無視したまま、早速質問に入る)。

(1) 中学時代
動機からお聞きしましょう。ファッションに関心を持ち始めたのはいつのことですか?
中2で初デートを体験したのがシャレっ気の目覚めでした。中1までは文武両道のシンドーだったのですが「モテたい」という欲求に目覚めたその日を境に成績ががっくり落ちました。いかにかっこよく見せていかにモテ男になるかってことで頭がいっぱいで勉強なんか全然でした。あと、部活なんかも頑張ってました。

(2)高校時代
灘中でそんなふうにしていたら落ちこぼれちゃうでしょ。
中学から高校まではエスカレーターなんで進級には問題ありませんでした。高2になって進路選択が始まったとき(うちは医者の家系なんですけど僕は医者にはなりたくなかったので)、親に黙ってこっそり文系を選びました。後でこわごわ親に伝えたら「あっそ、いいよ、別に」と予想外にあっさりだったので肩すかしを食らった気分でした。

ううぅ…親の気持ち何となくわかるわ。やはり気落ちはしたのでしょうけれど懐の深いところを見せて逆効果を期待するという作戦もあったかもね。
う~ん、わからない。でも、とにかくこの時には既に頭の中はファッションでいっぱいで、暇があればファッションの事を考えたり調べたりしてましたね。親も意外に緩そうだし、これで自由にファッションやれると思って学校選びを始めました。東京に上京して文化とかモードとかバンタンとかの有名な専門学校を見て回りました。んで文化服装学院へ行こうって決めてました。
ところが三者面談のとき親と先生が猛反対したんですよ。「専門学校だとぅ?とんでもない」「お前、まずは国・公立の大学に行ってそれからもう一度考えてみろ。中学から勉強もしてないくせに、してない
ものを嫌いと決めつけるな。それはお前の思いあがりじゃ。ちゃんとまともな大学入って、もっと色んな人と出会って、それでやっぱり嫌っていうならお前の言い分も認めてやる」と言われ、そう言えばそうかも~と納得したボクは、「じゃあ東大・京大・阪大のどこかに入ったるで」と決めました(その3校のどっかに受からないとファッションやらせてくれない感じだったんですよ。あ、お金的な話です)。
そんで高2の後半から猛勉強を始めてすぐの全国模試で、早々と阪大合格A判定が出たんですよ。あーっと、ここは太字で書いてくださいよ。その時点で「あ、オレ阪大なら確実に行けんちゃう?じゃあそれでいいや、猛勉強はもうやめやめ」って、あとは適当にだらだらしてました。東大・京大を目指すとなるともっと勉強せなあかんし、そこまで努力はしなくても阪大なら十分良い大学やし、これでええんちゃう~、って思って。なんで、あとはラクラクの受験勉強でした。

(3)大学に入学して
ふーん。中2から遊びまくってほとんど落ちこぼれだったのにたった半年間でA判定?「根」の頭がいいのね。(そーです。そこ、大文字の太字でおねがいしますよッとしつこく叫ぶ声を無視しつつ)
それで阪大に入学して何をしていたのですか?てゆうか、ちゃんと大学に通っていた?

まぁ最初の1カ月くらいは行ってましたよ、授業には出ていませんけど。一日中喫煙所で友達とだべって、大学生ってええな~みたいな。大学に入ったらいっぱい服買っておしゃれ楽しんでバイトしてまた服買ってモテて、みたいな生活をしようと思っていたのでバイトでもしようと思いました。バイト先は「オシャレなカフェ(笑)」が希望だったから面接5個くらい受けたけど全部落ちて。そこで昔からバイトしている友達に推薦までしてもらって、それでも落ちるってどんだけ~って感じっすよね。とにかく全滅。それで不貞腐れてダラダラして、大学1年の夏休み前にはもう「つまんないなー」と思うようになっていました。やっぱファッションやりてーって。それでもテストの時だけは最前列に座っている優秀な留学生のノートを写させてもらってそこそこパスしたりで最低ラインはキープってました。

その頃から要領がいいっていうか、『保険』を押さえておくことだけはちゃっかり忘れない性格だったのですね。で、「大学つまんない」がなんで「留学」になったの?
そりゃあもう、外人の女の子が好きだったからです(笑)。最初は英語くらい話せるようになりたいし、語学留学でもするかと思ったのですが、いまどき語学留学って珍しくもないし(と計算する頭だけはいつもあるのね)、だったらファッションも一緒にやりたいな、と思い始めました。
とはいうものの、セントマってのは特に考えていませんでした。そりゃあフセイン・チャラヤンやマックイーンなどの有名デザイナーを輩出しているセントマは憧れだったけど、そんなのは僕なんかの手が届かないところにある、自分なんかとは関係のない話なんだろうなぁと思っていたから。ボクは服を買うことが好きなのであって、服を自分で作りたいという願望はなかったですから。でもデザインには心惹かれるものがあって高校時代は文化服装学院あたりが現実的かなぁとか思ってました。

ユニコンにはどうやってたどり着いた?
ネットで検索してロンドン芸大のEnglish Plusってやつに行こうと思ってユニコンに電話したんですよ。そしたら「そんなものよりもっとおいしい話があるわよ」って怪しく誘い込まれて、マジで?って思って東京まで行ってユニコン事務所で話聞きました。そしたらオリエンなんたらとか、もっと美味そうな話があるじゃないですか。そういうことならまずはオリエンなんたらで試してみるか、と思ってすぐに渡英を決めました。この時点ではファンデに行くとか学部に進むなんて先のことまで真剣に考えていなくて、まあ、ロンドンでアートやるってどんなもんか様子見してみよう、ってノリでした。才能なければ帰ってこなアカンし、僕がホントにアートとかそういうことが本当に好きかどうかもわからないし。それにアントワープにも憧れていたのでそっちに行くのもアリやな、と思っていました。

(4)English+art時代
渡英直後はセントジャイルズ校に通いながらセントマのパートタイム・コースに参加していたんですよね。セントジャイルズって言えば、キミは修了証を発行してもらえなかったでしょ、さぼり過ぎて。あの頃はまだビザルールが甘かったからよかったようなものの、今だと即刻強制退去だよね。
いや、サボってませんて。朝早く起きるのがダメなんです。ちゃんと2時間目から授業に出ていましたよ(それをサボるって云うんだよ)。IELTSだって家ですごく勉強していたし。それにしてもラッキーでした。ビザの規則がめちゃ厳しくなる直前にオリエンテーション・コースに滑り込んだからセントジャイルズでの黒いレコードを闇に葬ることができました。

(5)オリエンテーション・コース@セントマ
4-6月のオリエンテーションを受講したんですよね。あなたと熊谷君以外は全員女というものすごい環境だったわね。
いや、そうでも。しかし、大変でしたオリエンは。だって、僕以外は全員、多少なりとも絵とかデザインとかを齧った経験のある人たちだったじゃないですか。正直マジで当時のオレの絵はひどかったけれど、それでもあの9週間でかなり伸びたと自分でも思います。これならファンデ行ってもやってけるんちゃうかな、それに俺はやっぱファッションだろ、って自信が持てたのでそのままロンドンに残ってセントマのファンデ行きを決めました。
ほんとにあなたはテキト―に見えて要所要所の計算がしっかりしてるわね。ほら、オリエン終わってファンデのオファーをもらった夏に、オリエン同期生の熊谷君と自転車でボーンマス行きを決行したでしょ。自転車漕ぎ疲れてガドウィック空港の金網張ってるあたりで2人で休んでいたら怪しまれて警官の職質受けたって話。あの時も熊谷君は身分証明書を持っていなくてシメられたのに、キミだけはちゃっかりパスポートを携帯していてセーフだったもんね。
ちなみにアントワープはどうなったわけ?

オリエン後に憧れていたアントワープに見学に行って、ついでに入試も受けました。でも、落ちました、あっさり。でも負け惜しみ抜きで僕もここは違うなって思いました。友達がアントワープで学んでいるんですが、アントワープみたいなやり方は僕には合わなかったと思うんで。アントワープも学長が変わってからは、学校の好みを教え込む感じなんですよね。実際すごいスパルタだし、ある意味日本人には向いているのかもしれないですけど。いまでも勿論世界最高峰の学校だと思ってます。セントマとは毛色が違い過ぎて比較できないんですけどね。

(6)セントマのファウンデーション時代~1学期め
さて、ファウンデーション時代のことを聞きましょう。1学期はどんなことを?
前半は全員が〔3DD、Graphic、Fashion & Textile、Fine Art〕の4科目をやり、終わりころに好きな科目を2つ選ばされました(ボクはFashion とFine Artを選びました)。
後半は選んだ2科目を2週間ずつ(計4週間)やるのですが、この期間のファッション科の授業ではドローイングしかやりません。「ジャケットを解体して新しい服を作れ。そして、そのプロセスを全てドローイングで記録しろ」という課題をやるんですよ。2週間、ひたすら絵(ドローイング)だけを描かされ続けて、マジで鬱になりそうでした。でもこれが後でかなり役に立ちました。
そして、1学期の終わりにはファンデ2学期からの専攻科目が決まってしまいます。一番人気のファッション専攻科には250人くらいが希望を出したけれど通ったのは100人足らずでした。日本人は6人(ユニ学生)全員通りました。通る・通らないの基準は単純。「絵が描けるか描けないか」「ワークの量が足りてるか」の2点だけです。そのため僕はこの1学期だけでスーツケース1個分のドローイングをやりました。マジですよ。

生れて以来久しぶりに「マジで」がんばったんですね。ところで、もう一つの選択科目(Fine art)の授業はどうでしたか?
Fine Artのクラスは僕以外全員イギリス人という恐怖のシチュエーションだったんで、怖くて3回くらいしか行きませんでした。イギリス人、怖いじゃないっすか、何言ってるかわかんないし。いや、そりゃたしかに外人の女の子は好きですけど、別に話したいというわけではなくて鑑賞対象ですよ。え、結局サボってたんだろうって?違いますって、僕、ちゃんと家で死ぬほどドローイングしていましたもん。

(7)セントマのファウンデーション時代~2学期め(ファッション専攻科)
学部への道もここ(2学期)で命運が分かれます。チューターも「これはいい学生、これは見込みなし」という自分の所感をそのまま露骨に態度に出すようになるし、ここでちゃんとやってないともう将来がないってことになります。2学期はプロジェクト3つだけです。ファッション専攻の内容を大雑把にまとめると、
●家族など自分の身の周りにいる人を徹底的にリサーチしてそこから作品を発展させろ、というもの。僕はおじいちゃんを題材に選びました。うちのおじいちゃんは既にボケはじめてるんですけど、そういうおじいちゃんの「痴呆」「記憶がなくなっていくこと」を「服の要素がなくなっていくこと」とつなげて考えてみるとおもしろいかな、と思って。最後にはただの筒が出来ました。チューターも苦笑していました。
●テートモダンからピックアップした3作品からインスピレーションを得て作品を作れ、というもの。ボクはキュビズムの彫刻を選びました。『キュビズム』って最初はうーん、って感じだったけど「違う角度から来た面で作られている」’折り紙’と同じ原理なんだということがわかってからはしっくりしました。しっくりしてからは「折り紙を折るのと同じこと」という発想で服をデザインしていきました。
●好きな建築物をひとつ選んであとは好きにやれ、という課題。
僕はSt Paul’s寺院を選びました。ここはオリエン時代にドローイングさせられて全体像をつかめているし、まぁちっとは楽できるだろうと見込んだからです。しかし実際は時間が超足りなくなって。このプロジェクトではprintingかknittingのサンプルを作って提出しなくてはいけなかったんですが、僕は出しませんでした。全部が中途半端になるよりは(ひとつ放棄しても)他のもので完璧にしたほうが良いと判断したので。でも、この時期は精神的にひどく追い込まれて、オレもいよいよここまでかと観念することがよくありました。

(8)セントマのファウンデーション時代~3学期め (1~3月)
年明けから学部面接の3月までマジで一度も遊びに出ませんでした。友達とちょっとご飯するとかお茶するとかはもちろんカフェも酒も一切無し。学校に行く→チュートリアル→すぐに帰宅→ワークの繰り返しという引き籠りに近い日々が続きました。学校のスタジオではほとんど作業しなかった。友達がいないからだろうって?違いますって。嫌なんですよ、人の作品とか見るとどうしても焦るじゃないですか。
家ではスカイプをつなぎっ放しにして、友人(オリエン時代の仲間)と「お前今何枚目?」「オレちょっとモクってくるわ、5分くれ」「まだ起きてるか~?」とお互いに眠らないように監督し合いながらひたすら作業していました。これに比べりゃ阪大の受験勉強なんて屁だと思いましたね。

それだけやってるのに最後のアセスメントシート(調査書)を作る段階になっても量も質も全然足りていない気がして、あーオレはもうダメだと真っ暗な気持ちでチュートリアルを受けに学校に行きました。ところが驚いたことに「あなたのワークを見るのはいつもPleasureよ(楽しい)」と言うチューターの言葉。そのときの評価でExcellent(最高)をくれたんですよ。それでおぉっ(歓)と思ってチラと調査書を盗み見ると、二つ目の項目の’進学準備はOKか’欄に「Yes」と記してあるじゃないですか。これはイケるかもッ!と目の前がパァッと明るくなって面接日までラストスパートできました。 

 

 

ファンデーション時代のスケッチブック

セントマのファンデからBA Fashion (Womenswear) に合格したのは最終的に10人くらいでした。僕のチューターは前年度自分のクラスから一人しか合格者を出せなかったせいもあって僕の合格を大変喜んでくれました。この年は優秀だったって先生が言ってましたけど、実際はどうなのかわかんないです。
合格のカギですか?
ポートフォリオは大して重要でなく、スケッチブックがすべてといっても過言ではありません。
●どれだけのリサーチが入っているか、●自分のテイストが入っているか、●おもしろいアイデアを持っているか、をいかに効果的にスケッチブック上に示せるかがキーになります。僕もA1のシートにそれまで溜めこんだドローイングを貼ってみたり、コラージュをしたりとオリジナリティを出すように工夫しました。

(9)只今、学部生
さて、それで今こうして学部生張ってるわけですが、噂の激戦区、住み心地はどうですか?
セントマWomensなのに何でこんなのが?みたいな奴も混じってますよ。セントマも今リアルクローズ(着られる服)に移ってきていて、そこがちょっとつまんないところです。僕はリアルクローズには別に興味ないんで。
ほっほっほ、その反応、まさにセントマチックですね。あ、でも、それじゃほとんどの日本(の服飾専門学校を出てきた人)にはアントワープの方が向いてるってことになるかもね。セントマって生徒に「親切に教える」って態度じゃないし、朝から晩まで’お前が考えろ’だもんねー。少子化の日本の学校でなんでもかんでも’教えてもらって’お客さん扱いされてきた日本人には考えられないゴーマンな態度だよね。こっち(セントマ)じゃ、チューターから批評やヒントをもらうくらいがせいぜいでしょ?
実は僕、そのチューターが言うこともファンデ時代からあまり信用してなかったんですよ。だってチューターって人によって言うことが違うじゃないですか。だから、「あ~、この人たち自分の思うこと勝手に言ってるだけなんや。じゃ、オレも好きにやらせていただくわ」って思ったんですよ。自分でやりたいことを自分でつきつめていけばいい、と。なんでボク的にはチューターの意見は重要視しないっていうか適当に聞いておけばええんちゃうん、って感じです。勿論、すごく的を得たアドバイスもあるので、素直に聞く事もありますよ。チューターを気にしすぎちゃう人は辛いでしょうね。チューターの顔色をうかがい過ぎるとてマジで鬱になりますもん。ここを突破しないとセントマではやってけないかもしれません。

あなたのチューターもエラい生徒を抱えたもんですね。
僕のクラスのチューター?いやいや、彼女のモットーは「生徒は放っておく。個性を伸ばせ」なので僕は理想的な生徒でしょう。Womensは全部で3クラスあるんですが、他のクラスのチューターはけっこう熱心でチュートリアルには一人の学生に20~30分もかけてかなりこってりやるらしいんです、あ~~うざいうざい。僕はホント自由なチューターに当たって自分のデザインを好き勝手に心ゆくまで追求できるんで幸せです。他の熱血チューターに当たっていたら、とっくに学校やめたくなってたかも。

オリエンのころはMens (Menswear) をやりたいって言ってなかったっけ?
確かに。最初は自分が男だからそっちのほうがよくわかるし楽しめるだろうと思ってMenswearをやりたいと思ってました。やっぱ自分で着たいじゃないすか?でも、ファウンデーション時代の最初の課題で出来上がったのがドレスのデザインで、これでWomensにググッときました。
やってみるとわかるんですが、メンズのデザインはディテールが全てなんですよ。ズボンでもジャケットでもシャツでもある程度の型が決まっていて、あとはポケットやボタンホールを何ミリずらすか、みたいなところに美学がある。最近はどんどんジェンダーレスになっては来てるんですが、僕にはまだまだ枠がありすぎる様に思えたので。でもWomenswearはカットもシルエットも全部自由にできる。そこに面白さを発見しました。
それに、Mens希望者は少なかったので「こりゃ何もしなくても受かっちゃうな。つまんないな」と思ったというのもあります。どうせなら世の中、最高峰って言われるところを目指してみたいじゃないですか。そんで、「そんなにみんながWomens Womensって云うのなら、オレもいっちょそこに行ったろ」ってことで自分の尻を叩くことにしました。
実際入ってみたらCompetitiveさ(競争の熾烈さ)はやはり群を抜いている。レベルも高いなぁと。僕はそういう環境にいないとすぐにダラけてしまうタイプなのでこれで正解だったと思います。

阪大はどうしたの?
阪大はまだ休学状態です。こないだの夏に帰った時に退学手続きしようと思ったんですけど、忙しく遊んでたらそういう暇が無くなって退学しそびれました。まあいいか、タダだし。

5年後どうなっていたい?
どうこうっていう具体的なイメージはないですが、卒業したらどこかでまず数年は修行がてら働きたいと思ってます。自分がいいと思えるブランドでアシスタントデザイナーって感じで(基本的には小さいブランドが好きなんですけどね)。自分でコレクション立ち上げたいとか、そういうのは考えていません。僕、ビッグになりたいとかそういうのは全然ないんです。だって僕の将来の夢は結婚して幸せな家庭を持つことですもん。そして子供が産まれたらたくさん可愛がってあげたいんです。リアル~なシアワセってのが大事なわけです。日本に可愛い彼女がいますし。え、外人の女はいいのかって?いや、付き合いたいとは思いませんから、外人とは。可愛いな~綺麗だな~って単に見てるってのがいいんですよ。それに外人ってうるさいじゃないですか。
そんでもって、35歳くらいになったら何らかの形で自分のブランドを持てたらいいな、と思います。それはファッションじゃないかもしれないけど、自分のやりたいことをやれてればいい、ってことです。何かで人と人とをつなぐ、社会と人がコミュニケーションできるようなことがしたいと思う。それをファッションでやるならそれも良し、違うものがあればそれもまた良し。臨機応変に。
もしファッションで行くならリアルでかっこいい服じゃなくて『楽しい服』を作りたいなと思います。『デザイナーのすごさ』て、かっこいい服をデザインできることじゃなくて、人を楽しくさせる服や人同士をつなぐような可能性を作れることだと僕は思うんです。あくまで個人的な意見ですけどね。
まぁ今はこうやって考えているけど、実際卒業の時になれば考えている事はまた違っているんだろうと思います。どんどん色んな事を吸収して成長して行けば考えも勿論変わっていくと思うので。もしかしたらMAへ進みたくなっているかもしれないですし。今はまだ自分の哲学なり美意識を模索して構築している段階です。

オリエンからここまでほんとに早かったです。今オリエン時代の作品を見ると下手すぎて寒気がするしファンデ時代の作品でも「えーっ、ひどすぎる。こんなんでよくWomens受かったな」って思うくらいです、実は。まあ、それだけボクはすごい進化を日々遂げているってことで…(以下自慢話略)

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