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2015年07月01日

田口愛子さん(20歳):ファウンデ学生がロンドンのギャラリーとアーティスト契約の快挙!

ヒヨコ、飛べ!
 
― ファンデ卒展で契約オファーが来たーッ ―


2014年9月開始のファウンデーションコース(セントマーチンズ)に入学した田口愛子さん(20歳)はラブリー&オープンマインドのおっとり風お嬢さんです(ユニコン的印象)。お家がユニコン東京事務所近くという近距離感もあり、ファウンデーション入学後も付かず離れずの交信が続いていました。
その愛子さんから先日メールをいただいたのですが、今年10月からの学部進学先が決まったという報告に加えて、ロンドンのギャラリーからアーティスト契約のオファーをもらった、と言う、おめでたいニュースが↓

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ユニコン様

こんにちは、いつもお世話になっています。
この度、新人発掘系のギャラリーからアーティストとしてオファーを頂きました!!!
ギャラリーのスタッフの方がファウンデーションショーを見に来てくれていて私の作品を気に入ってくださり、わざわざ私のウェブサイトを探し出してメッセージをしてくれました。本当に嬉しくて胸が高まります!直接お会いする時にお伝えするか迷いましたが、待ちきれずにメールしてしまいました(笑)
これがゴールではなくスタートなので気持ちを改めて頑張りたいと思います。

田口愛子


ひょお~~~。
まだ、ファンデを終えたばかりの青二才のヒヨッコよ、そんなヒヨッコに目の肥えたプロの、しかもロンドンのギャラリーが『契約』を
おふぁあ!?

数週間後、手ぐすね引いて待っていたユニコン東京事務所にファンデを修了して帰国したてのゴールデンエッグが転がり込みました。

「おかえりぃ~、ささ、入って入って」 常日頃、ロンドン在住の年寄り上司から「客への気配りが足りない」とブツクサ指摘されている東京事務所スタッフもこの日ばかりはピンポンの音がするなり玄関にダッシュ、猫撫で声で愛子さんを奥の事務室へと連れ込みます。
用意したお茶を出すと飲む隙も与えずさっそく「事情聴取」開始です。
聴取担当は口が早い悪いという点では他者の追随を許さない、最近大台(ミソジ)に乗ったばかりのスタッフM。

M:きゃ~愛子ちゃ~ん、ほぉんとにお久しぶりぃ~、さあさ、ググッと飲んで。
 
去年、オリエンテーション修了後にスペインにバカンス旅行に行って、それから日本に帰国して事務所に遊びに来てくれた時以来よね。スペインの太陽を散々浴びた日焼け顔で刺激的な9週間のオリエンテーション・ライフをアゲアゲのハイテンションで語ってくれたよね。オリエン仲間との遊びエピソードや唐突的だけど原発の話、来るファウンデーションに向けたパッショナブルな心意気などなど。

実は私、あの日は帰宅前にロンドン事務所に電話しなくてはいけなかったから(愛子さんとの話をそろそろ切り上げなくてはいけない時間になった頃)「ねぇねぇ、もういい加減帰ってくんない?」とかなり露骨に催促しちゃったんだけど、覚えてる? そこまで言われてようやく玄関で靴を履きながらも愛子さんたら「あ!そうそう!それからね」と新たなトピックを語ろうとしていたよね、必死で食い止めたけど(笑)。

ええ、あの時も今もオリエンについては楽しかった記憶しか残っていないんですよ。それに引き換え、ファウンデは自分自身の壁にぶつかりもがき苦しんで一年が二年分の長さに感じました。

M:その壁のせいなのかしら、愛子さん、去年に比べてグッとシックな雰囲気になったわ。それにしてもロンドンのギャラリーとアーティスト契約だなんて素晴らしい土産話を持って来てくれてありがとう!

ユニコンさんにもお知らせしたけれど、ファウンデの卒業展示直前に急に思い立って自分のウェブサイト(http://atagart.jimdo.com/ )を作ったんですが、卒展を観に来たギャラリーの方がそのウェブサイトを見つけてcontactページから連絡をくださって。本当にただただラッキーでした。

M:もおっ、そんな謙遜なんてするもんじゃないよっ。

だって不安は消えないですよ。これって、バンドで言えばスカウトされて事務所やレコード会社と契約出来た、というところですよね? ここからがスタート地点ですよね。

M:どれだけネガティブなの!もちろん絶対に売れる保証なんて無いわ。確かに昔はアートやら音楽やらをやったところでどうやって食べていくんだ?と言われたけれど、今なんて東大出だろうが早稲田出だろうが、有名大学を卒業しただけじゃ何にも保証されない時代よ。でもアートは当たったらデカイわ。
チャンスが巡ってきたのは「運」かもしれないけど、掴み取ったのは自分の努力と実力なの!
さ、まずは「壁」だらけだったファウンデーション時代のことから話してもらいましょうか。


★☆ひよこのファウンデ―ション時代 (Fine Art Pathway) ☆★
 

■ここでセントマーチンズのファウンデーションのスケジュールを簡単ガイド↓

9月   :ファウンデーション開始。
       ※ 専門pathwayとDiagnostic pathway(診断型)の2ルートあります。
11月中旬 : Diagnostic学生を専門pathwayに分科する。専門pathwayも更に分科されます。
12月    :翌年度の進学先(学部課程)を決める&登録開始。
(翌)2月 :学部課程進学のための内部審査。
3月     :結果発表。
5月     :ファウンデーションコース修了。ファウンデーションコースの卒展開催。

M:オリエン終了後はDiagnostic pathway(診断型ルート)のファウンデーションに進むユニ学生が多い中で、愛子さんは初めからFine Artの専門 pathwayを選んだのよね?

ええ、実は高校時代の時もオリエンの先生達からもグラフィックデザインが向いていると言われていたのですが、自分がやりたいのはファインアートだとハッキリしていたし、この気持ちは絶対ブレないという強い自信があったので迷わずファインアートのpathwayを選びました。

M:専門pathwayの授業はどこのキャンパスを使ったの?

Diagnostic pathway組はKings Crossキャンパスがメインですが、専門pathwayの多くはArchwayキャンパスがメインです。Kings Crossに行くのはたまにでしたね。

M:愛子さんが選んだFine Art pathwayでの全貌を教えてちょうだい。

Fine Art pathwayは総勢125人。この125人がコース開始後の11月にさらに3つのpathwayに分科されました。内訳は、①映像やフォトグラフィーがメインだけど、実際は「何でもあり」のFine Art Practice(60人) と②Painting(35人) と③Sculpture(30人)です。
私が入ったのは ②Paintingですが、チューターの口癖が「もっと大きい作品に取り組め!」。でも、一人当たりのスペースが狭すぎて物理的に無理でしたね。まぁ、しょうがないか(笑)。

M:前年度のユニ学生から「ファウンデでは週1の割合でプロジェクトに取り組むから、これをさぼると1ヶ月後には4つの負の遺産を背負うことになってしまう」と聞いたけど、愛子さんの時代もそうだった?

Graphic pathwayとかはそうかもしれませんが、Fine Art pathwayでは最初が週1ベースで、徐々に2週間プロジェクトになって、最後のプロジェクトだけは2ヶ月くらいかけました。
Fine Artは比較的マイペースに進んでいけますが、友達が在籍していたFashion Communication pathwayはプロジェクトが3つ同時進行というのもザラで物凄く忙しそうでした。どういうことかと言うと、プロジェクト‐1の終盤にプロジェクト‐2が始まって、そのプロジェクト‐2の中盤からプロジェクト‐3がスタートする、の繰り返しです。Fashion Communication pathwayの学生はみんな楽しいって言っていたけれど、ゆる~いFine Art pathway組の私から見たら目まぐるしくて絶対無理!というスケジュールです。2つだって大変なのに。

M:あー、それは私も絶対無理だわ、怠け者で連絡無精だからマルチタスクプレーヤーになんかなれないもん。ほら、たった1人の人と付き合うのすら面倒だと思う時があるのに、それが2人とか3人とかと同時に付き合うってことになったら超マメな上に器用かつ体力が無いと無理でしょ?

でもFine Art pathwayの流れが幾分ユルいとは言え、途中から来なくなっちゃった人もいました・・・。

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【ファウンデ中のスケッチブック】

M:そうね、狩猟民族でビザの心配もないヨーロピアンは執着心が少ないから、自分の気持ちが変わったらすぐに学校を辞めたり専攻を変えることは昔からよくあること。多感な若い時は進路が変わることは不思議じゃないしね。日本人学生でもたまに学校に行かなくなっちゃう方もいるわ。
2014/15年度は『宝くじ1等賞』か『隕石』に当たるくらいの確率と言われている、‘あの’超難関のBA Fashion(セントマ)に合格したユニ学生が例年になく多かったんだけど、コース開始後に授業についていくのが大変でという相談も多かったの。
心から好きだと思えるアート&デザインの授業なのについていけなくなる理由、わかる?
そう、完全に英語力の問題なの。ファウンデーションの英語入学条件はチョチョッとがんばれば割とあっさり取れるスコア(IELTS 5.0)だけど、ほとんどが「本国人かインターナショナルスクール出身者」で占められるクラスの中では「圧倒的に英語ができないマイノリティ」になるわけでしょ。辛いよねー、大学生の中に混じっている幼稚園児みたいなものだもん。
だからユニコンはウザがられ嫌われながらも学生の顔を見たら「英語英語英語」とわめいているんだけど、ね。。。。
英語問題となるとどうしても暗-くなっちゃうけど、これはユニコン学生に限った話じゃないのよ。日本人全体の問題よ。はっきり言って、これでもユニコンのお客さんは(国内レベルで見たら)バックグラウンド的に結構なレベルの人が多いのよ。そのユニコンでこれだもんね(ややキレ気味)。ふ-っ(鼻息)。


★☆ファウンデの卒展で吹いた風 ☆★
 
M:暗い話はこれくらいにして、愛子さんが幸運を射止めたセントマのファウンデーション卒業展示会【以後、Show】の話にしましょうよ。

Showは5月14日から16日の3日間、Kings Crossキャンパスで開催されました。
最初に展示会場を見たとき、私の作品スペースの両隣に陣取っているのがどちらも大変優秀な学生で、私の作品が彼らの引立て役で終わってしまうのでは、と心配になってしまいました。
Show期間中は学生が当番制で会場の見回りを行うのですが、自分が当番の時はやはり自分の作品エリアで立ち止まってしまうんですね。すると、私の作品の前は素通りするのに両隣の作品の写真を撮ってそのまま帰ってしまう来場者が多いことに気づき、とても落ち込みました。写真を撮るだけでなく、両隣の学生の連絡先やメールアドレスを教えてくれと頼んできた来場者(おじさん)までいたので、自分の非力さを痛感しました。

【セントマのFoundation show】https://instagram.com/csm_foundation/
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M:でしょうね。
ところで、BAやMAのShowともなるとロンドン芸大は大手通販並みの装丁ブローシャー(カタログ)を作るわよね。卒業生を売り出すためだろうけれど、展示作品の写真や連絡先のウェブサイトはもとより、制作者(学生)のメールアドレスや電話番号まで載せるじゃない。初めてMAのShow会場に行ったとき、展示中の作品の下にプライス(オファーされた買値)が掲示されているのを見て驚いたわ。だって、なんかアカデミックな響きがある「大学」という場所と「売買=カネ」という俗的なものの‘同居’がちぐはぐな気がして。日本の美大じゃ考えられないもん。
ファウンデーションでも展示作品の売買をするの?

値段をつけることはできます。でも作品の下に掲示されるのは学生名と進学先の大学名とコース名だけで、つけた値段がそこに掲示されるわけではありません。多分、問い合わせがあったら売るんじゃないでしょうか?

M:大学が学生の売り込みまでするなんて、と最初は驚いたけれど確かにこれはものすごくいい手よ。
ロンドン芸大のパワフルな演出でグイッと押し出してもらえたらチャンスに遭遇する可能性が大きいもの。世の中に認めてもらうための手段もツテも悪知恵もまだ身に付けていない若いアーティストにとってはとてもありがたいアレンジよね。
愛子さんの場合だって、showで愛子さんの作品に眼を付けたギャラリーの人が愛子さんの名前をググって検索して、ウェブサイトを見つけ出して連絡してきたってことでしょ? ものすごい求愛行動じゃない!

※専属契約先のギャラリー:http://pintoraart.com/ , https://instagram.com/pintora_art/

「あぁ、私ダメだぁ…」とドーンと落ち込んでいた分、ギャラリーからコンタクトがあった時はまさに「天にも昇る気持ち」になりました。あまりにも嬉しすぎて、思わずユニコンさんにもメールしちゃいました。すごく良い作品を作っていた友達にも「私にですらギャラリーから連絡があったから、あなた達もウェブサイトとかメールとかを細かくチェックした方がいいよ!」って勧めました。

M:いい子ね、愛子ちゃん(苦笑)。それにしても若手にチャンスがたくさんあるって素晴らしい。でもさ、いくら‘世界のセントマ’とは言え、ファウンデーションのShowにまで欧米のメディアやギャラリー関係者が ‘お宝探し’に来るなんて。セントマがますますゴーマンになるのもしかたがないわね。
これが日本やアジアだといくら国内で評価されている有名美大でも卒展に海外メディアやギャラリーが押し寄せるなんてことはないもの。
この前、セントマの卒展を見てきた日本の美大卒業生が「俺ら、あんだけ何ヵ月も徹夜して卒展の準備をしたって、見に来てくれたのは親と親戚と友達くらいですから」とちょっと投げやりに呟いていたわ。確かに親戚とかに来てもらっても、ね。
日本のアーティストって大体が世間知らずで人に取り入るのも駆け引きもヘタクソでカネの計算まで弱いから、油断すると人知れずどっかで埋もれちゃってしまう恐れがあるじゃない? 若い才能を世の中に押し出してくれる機関が日本にもあるといいのに。あ、そのためには、まずは日本の美大が「世界」で売れる大学にならなきゃダメか!


★☆アーティストは自ら世界に発信せよ ☆★
 
M:Showだけじゃなく、ロンドンはアート業界者との遭遇チャンスに恵まれた街だけど、愛子さんはファウンデ中にコンペに出したりインターンを経験したり、ってやりました?

「インターンシップをやりたい人は詳細聞きに来てね~」とか「知り合いのギャラリーで作品を置けるよ~」って先生からのお誘いはよくありましたが、私は学校や作品への取り組みでいっぱいいっぱいでした。
ユニコン学生には日本の大学を休学中の人や会社を辞めて留学してきた社会人が多いですよね。こういう人たちは将来のキャリアアップという目的でファウンデに入ってきていて、最初からファンデ修了後は(学部に進まず)帰国するという計画なんですね。だから、ファンデが始まるとすぐに授業と並行してインターンをしていて、行動的で立派だなと思いました。

M:日本はいまだに、「海外帰り」「海外で働いた経験あり」という履歴に対して『すご~い!カッコイイ』みたいな反応をしがちな国でしょ? ちょっとセコい感はあるけど、ユニコンはその思い込みを「利用」しない手はないと考えているの。だからファウンデのみで帰国する計画の社会人の方には「1日バイトでもインターンでもいいから‘ロンドンで働いた’実績を作ってきなさい」とアドバイスしている。ありがたいことに日本じゃ今でもこれが就活でけっこう効くのよ。
それと「就職後に‘肩書き倒れ’にならないためにとにかく現場で通じるアート英語の猛勉強」がもっと大事。セントマの名前を使いまわしても実力が伴わないとすぐにメッキが剥がれるじゃない? でも(アートの才能はともかく)使い物になる英語力さえあれば日本でならまだまだやっていけるわ。

ですよね。 (ファウンデが始まるや否や)インターンなどを始めた周りの学生を見ると「私はこのままでいいのかな。この先私はどうなるんだろう」と思わず不安になってしまうことがありました。
私、チューターと親密になるとか、昔から苦手だし。せいぜい、ウェブサイトを作ったりメールを出したりするくらいしか思いつかなくて。

M:それができれば十分よ。私なんか‘苦手’どころか、子供のころから反体制人間で『先生には噛みついてなんぼ、先生と仲良くするような人は信用できないし友達にもなれない』と思っていたわ。社会人になってもこんな調子だけど、幸いっていうか外資系企業でしか働いたことがないんだけど、外資だと小憎たらしいくらいのキャラが丁度いいのか “元気があっていいね~”とオジサマ、お局上司、クライアントに褒められたくらいよ。日本のお堅い企業だったら即クビでしょうけど。あ、その前に雇われないか。(エ~ッ、こういうやつをこのままにしておいていいのか、ユニコン!)

今後、私がすべきことって何でしょう? 名刺を作る?自分をPRする? あちこちにコンタクトする?

M:手っ取り早いのはガーディアンみたいなメディアに送ることじゃないかしら? 情報発信の大元だし。メールなら作品の画像もウェブサイトのリンクを送るのも簡単だし、受け取った側もすぐにアクセスできるし。イギリスだけでなくアメリカや中国やフランス、もちろん日本にも送れば?
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以前セントマのファウンデに在籍していたユニ学生(Yukikaさん)はあらゆるファッション雑誌に作品を送りまくったら、「NYLON」にイラストが掲載されたよ。

← NYLONに掲載されたYukikaさんのイラスト

コンビニで立ち読みしてた時に私もたまたま目にしてびっくりしたもん。
まずは夏休み期間に世界中のコンペを調べてこれからの出品計画を立ててみたら? 日本は市場が小さいけど上海や香港とかはいまだにアートバブルが続いているでしょ。

そう言えば、世界のアートマーケットの70%はアメリカと中国で占められていると聞いたことがあります。

M:そう。ギャラリーにとってロンドンは活きの良い若手アーティストを釣り上げるための穴場なの。釣り上げたのが小鯛ならとりあえず自分の池に囲っていい餌を与えながら成長を見守るわけ。そしてお金をたくさん落としてくれるアメリカと中国の市場で売るの。最近は中国よりもアジアの市場すべてをターゲットとしているシンガポールで売るという流れがあるみたいよ。


★☆ファインアートのフューチャー ☆★
 
この夏休みはたくさん作品に取り組みたいです。ファウンデでアブストラクトのプロジェクトがあったのですが、私、すごく苦手で。だからこそアブストラクトに挑戦したいんです。友達は「アブストラクトはパッションで出来る」と言うけれど、私がパッションだけでやるとグチャグチャになるだけ。アブストラクトとミニマリズムのアイディアがあるからトライしようと思います。昨日は帰国するなり画材を買いに出かけました。

M:私もアブストラクトのペインティングって何だろうと長い間疑問だった。で、この前、『ディオールと私』というドキュメンタリー映画を観たのよ。ラフ・シモンズが初めて手掛けたディオールのオートクチュールコレクションの舞台裏に迫った映画なんだけど、何と、ラフ・シモンズはSterling Rubyというアーティストのアブストラクトからインスパイアされたドレスを作っていたの。
損得勘定でしか物事を考えられない人は「アブストラクトなんて何の役に立つんだ」と言いがちだけれど、ちゃんとこうやってデザイナーにインスピレーションを与えて、それが新しいプリント柄になったりするのね。
何かを産み出すための思考訓練はFine Artで学ぶんだってことを確信したわ。

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【Sterling RubyのPainting】
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【Sterling Rubyからインスパイアされたラフ・シモンズの作品 】

私も「ディオールと私」見ました!Fine Artの作品がそうやって新しいFashion Printやテキスタイルを産み出すメディアになるのだから、painting発信のパワーもテキスタイルやグラフィックデザインなどに派生されていけばいいですね。
私はファッションには詳しくないし興味もあまりなかったですが、この映画を見て一つの分野にとらわれずに他の分野のアーティストの事も知っていくべきなんだな、と思いました。


★☆日本の美大とロンドンの美大の違う点は? ☆★
 
M:このごろユニコンがよく聞かれるのは “(日本の大学ではなく)敢えてロンドン芸大に行くメリットは何ですか?”という質問なの。何に対するメリットなのかよくわからないけれど、費用に対する見返り効果ということなら公立高校から国立大学の医学部に行って美容整形外科医にでもなればいいわけです。見返り効果がハンパないから。
愛子さんは「日本の美大とロンドンの美大」の違いは何だと思う?

日本の美大に進んだ友達の話を聞いて考えたことですが、日本の美大のメリットは次の3点だと思います:

●テクニックを磨ける。
●時間をかけて制作できる。
●(当たり前だが)授業で言葉の問題がない。

日本の美大は基本的な技術に重きを置いていて、テクニカルな作品をどれほど作れるかがポイントのようです。ひとつの作品にかなりの制作時間をかけられるので高いクオリティの作品を作ることができる。特に油彩はそうです。授業内容をちゃんと理解して制作していきたい人や自分の思いを正確な言葉で伝えたい人なら、言葉の問題がない日本で勉強する方が良いのではないでしょうか。

一方、ロンドンの美大のメリットは次のような点だと思います:

●作品に対するアイディアの広げ方を学べる。

●技術が低くても個性として受け入れられる。
日本の美術高校時代に解らなかったアイディアの広げ方をセントマのファンデで学べました(もちろん今でも苦労しているけれど)。アイディアは作品の基盤なのでテクニックがあってもアイディア無しでは作品になりません。逆にアイディアさえ面白ければ大した技術がなくても評価されます。

●短い時間で沢山の作品を作ることができる。
セントマのファウンデでは一週間に1プロジェクトを進めますが、その1つのプロジェクトの中で何個も何個も作品を作りディベロップさせていきます。だから1年間でビックリするくらいの量の作品ができます。その分、ひとつの作品に長い時間をかけられないので、日本の美大生のように大きな油彩などは描けません。

●若手のアーティストにチャンスが沢山ある。
●英語が伸びる。

アイディアと技術の両方あるのがベストなのだから、日本で技術を習得してから海外に出ても良いと思います。英語の問題であればトランスレーターを雇えばいいわけですから。でも、自分自身の言葉で自分の作品を語りたいのであれば留学するしかないでしょう。
東京の美大に通っている友人は「技術は沢山学べるけれど授業では自由に作品を作ることができないから、好きな作品を作りたいときは大学の外でやるしかない」と言っていました。
セントマなら授業中に自分の作りたいものを作ることができます。ペインティングのクラスにいても立体を作れるし洋服だって作れます。
まぁ、どちらもそれぞれの良さがあるのだから、自分がその中の何を一番欲しているのか、で決めるべきだと思います。

M:そうなのよ! 自分に必要な勉強は何かという命題の答えは自分の頭と体を使って導きだしてほしいのよ。
Yahoo知恵袋で調べたり経験者の話を聞いたりしたって、それは所詮「他人」の話じゃない。だから、ロンドン芸大が留学先として価値があるのかどうか?なんてことは自分自身で体験して決めてちょうだい、というのがユニコンの本音なの。
セントマのショートコースなら1週間から体験できるでしょ。
私個人としては、若いうちは自分でもまだ気付いていない自分の可能性を発見するためにたくさんのプロジェクトにチャレンジするのがいいと思っているの。一つの作品にじっくり取り組むには『スタイル』を確立しなくてはならないけれど、現実にアートで食べている人だって『スタイル』の確立にずっともがいているんだもん。


★☆10月からのBA(学部課程)が楽しみ! ☆★
 

M:愛子さんはこの10月からウィンブルドンの学部課程に進学が決まっているのよね。どんな感じで決まったの?

ファウンデーション後期に3校(セントマ、チェルシー、ウィンブルドン)のBA Fine Artに申し込みました。立地とネームバリューに惹かれてセントマを第一希望にしてはいたけれど、学校の雰囲気と作風は絶対ウィンブルドンの方がいいなと思っていました。ファンデ時代のペインティングのチューターがウィンブルドンのBAで教えている人だったのですが、とても素敵な先生で、それもウィンブルドンに強く惹かれた理由のひとつです。
結局セントマからはオファーをもらえなかったのですが、セントマは合わないな~と薄々感じていたので当然の結果です。ウィンブルドンと両想いになれて、今とてもハッピーです。

M:カネや地位(立地やネームバリュー)のある富豪(セントマ)に一瞬目がくらんだ女が最終的には本当に愛していた人(ウィンブルドン)と結ばれたっていうストーリーですね。
日本人は良く言えば従順で受け身、悪く言えば「ガッツが無い」から、ファウンデーションなら訓練上手のセントマが適しているけれど、BAは自分が惹かれる作風のカレッジに行くべきでしょうね。それが学部進学の際の大切な審査ポイントでもあるのですから。
そういえば、愛子さんの代はいつになくチェルシーのBA Fine Art進学者が多かった気がするんだけれど、何かあったのかしら?

ファンデ期間中のBA出願前に他カレッジの方が自校のPRプレゼンをしに来るのですが、チェルシーのプレゼンターが 「チェルシーのBA Fine Artは今一番勢いと実力があり、セントマのBA Fashion並みに‘competitive’で‘challenging’」と言ったからだと思います。

M:ぶほっ。確かにチェルシーは立地最高だし日本人が夢想するヨーロッパそのものの雰囲気のお上品で優美な学校だけど、難易度がセントマのBA Fashion並みっていうのはいくらなんでもちょっと言い過ぎじゃないの。

あはは。ちなみにWimbledonは今、スカルプチャーがすごく人気があって、セントマファウンデのSculpture pathway組も(セントマではなく)Wimbledonを希望する人が多かったみたいです。

M:Sculpture、いい! 私も超好き! 絶対にこれからもっと需要が増える!
多くの日本人はいまだにSculpture= 彫刻で、彫刻ときたらミロのヴィーナス・ピエタ・ダビデ像みたいに石をカンカンカ~ンと削ることを想像しがちだけど、一体いつの時代の話よ! ピエタは15世紀、ダビデ像は16世紀でミロのヴィーナスなんて紀元前1世紀よりも前じゃないの。
このSNS時代、フォトジェニックなものは写真撮ってみんなでシェアしたい的な流れになっていて、立体作品や空間を捉えることが先端トピックのひとつなのよね。
たとえば、建築なら京都の伏見稲荷大社とか。(安直な例で申し訳ないけど)去年の夏に六本木ヒルズに大量発生したドラえもんとか、大阪にも現れた世界中の川に出現したフロレンティン・ホフマンのラバー・ダックとか。 えーー、何これ!みたいなモニュメントや、食べ物のFacebookやInstagramのイイネボタン数って多いじゃない?
うん、そうよ、絶対これからはSculptureは人気になる!(となぜか断言までするM )

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【伏見稲荷大社】   【ラバー・ダック】

★☆英国がEUから離脱したら? ☆★

わー!ますますBAが楽しみになってきました!
あと、ロンドンにいたからこそ初めて体感したっていうか考えたことがあります。
イギリスでは今年の5月初めに選挙があったのですが、国民の関心が高くてすごく盛り上がっていました。
選挙結果として脱EUを目指す保守党のキャメロン首相が勝利したわけですが、それって、私がBAにいる3年の間にイギリスが本当にEUを抜けちゃう可能性があるってことですよね?
そうすると今現在、EU学生は私達 (international students)より安い授業料で大学に入学してきているけれど、イギリスが脱EUしたら私たちと同額の授業料を払わなくてはいけなくなると言うことですよね? そうなったら通えなくなっちゃう学生が増えるんじゃないでしょうか?

M:そう。理論上はそうなるわね。学費だけじゃなく、International Student同様、英国滞在ビザも必要になるから今みたいに好き勝手にイギリスで働けなくなるだろうし、イギリスに留学しようという人も減るでしょうね。でもイギリスとしてはそれで全く問題無しなのよ。
ギリシアのような不良債権組のツケを他のEU諸国と一緒に尻拭いしたり、ビンボーなEU加盟国から押し寄せる大量の出稼ぎ目的者に本国人の職を奪われたりするくらいなら、もうこれ以上、外国人が来なくなってくれる方がずっと望ましいのよ。それに、タダの治療目当てでイギリスへ移住を目論む東ヨーロッパの人がわんさかいるせいでNHSサービス(国民健康保険)の財源も危機的状況になりつつあるという話だし。こういう人たちにイギリスに住みつかれて生活保護受給者や年金受給者にまでなられたら国が傾くわよ。
国の無料サービスというのはその国の国民が払っている税金でまかなう訳でしょ? 超富裕層はともかく、きのう今日流れ込んできた外国人の治療費や生活保護費が自分たちが払っている税金で賄われていることにイギリスの中流家庭は怒り心頭なのよ。
だからイギリスにとっての「脱EU」はメリットの方が大きい、という考え方が大勢を占めるようになって、それが保守党の勝利につながったみたいよ。
それにしても、イギリス人が賢いなあと思うのは最後まで通貨をユーロにしないでポンドを守り続けたことよね。ほんとイギリスは上手だわ。日本もイギリスの強気な姿勢と政策から大いに学ぶべきだと思うわ。

イギリスの選挙には本当に感動しました。投票日前にテレビのゴールデンタイムで党首陣による討論番組が放送されていたのですが、私と同年代のイギリス人の友人たちはみな、大変熱心に見ていました。テレビを見られないときは後からYouTubeでちゃんと見ていて、友人同士でも選挙についてディスカッションしていました。
AKBの総選挙並の盛り上がりと認知度ですよ。だって、そこまでAKBに詳しくない私でも、誰と誰が競り合っていて、公約とか争点とか何となく知っていますもん。笑
政治家がどんな発言をしているかを若者もみんなちゃんと知っているんです。労働党派の友達は選挙の後にめっちゃ怒っていて選挙結果日なんか一日中落ち込んでいましたが。
アメリカの大統領選挙は国民がリーダーを選ぶから熱狂するのもわかるけど、日本と同様に政党に投票する選挙でもあれだけ一般の人たちの関心を集めていたことが私にとっては衝撃的でした。自分も「いち国民」としてあれくらいに真剣に受け止められるようにならなければ、と思いました。

M:日本人は結果しか見ないじゃない。たとえ、選挙期間に熱くなっても自分の意思と違う結果が出ると、「どうせ俺が一票入れたところで何も変わんないよ」ってまるで無駄な骨折り損をしたような気持になるでしょ。党の政策を読んだり誰に投票すべきか考えたりした時間は決して無駄なことではなかったはずなのに。
これって “完成することより、そこにいたるまでのプロセスが大切なのだ”というロンドン芸大のアート哲学と同じことなんじゃない? (うぅ~~話の持って行き方にちっとばかし無理やり感が)

Mの舌ハンドルが更なる深みにはまりこむ前に、愛子さんの卒展作品をごらんください↓

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M:素人目ながら、このペインティング、もちろん、そのまま壁に飾ってもいいけど、Tシャツとか食器とかの、いわゆるアートグッズに仕立てられそう。うーん、タイポグラフィーにしてもよさそう。
オシャレなレストランとかコムデギャルソン、アニエスベー、オープニングセレモニーみたいなアートに造詣の深いファッションの店舗の壁に飾られているのが想像できちゃう。私だったら、この鉄製の心臓でもってロンドンのファッション系ショップに売り込むんだけど。

あぁ、私、本当にファッション知らない(笑)。でも、この絵がプリントされたTシャツがあれば買う!と言ってくれた人もいたし、Mさんにもこんなに褒めてもらえて、なんか自信が出てきました。
ギャラリー契約や次のウィンブルドンでのBA生活など手に入れたチャンスを生かしていきたいと思います!

M:ユニコンも見守ってるわ!がんばってね、ヒヨコさん。

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田口愛子さんのウェブサイト  http://atagart.jimdo.com/
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素敵な作品がたくさん見られます♪♪♪
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2012年12月05日

【コース体験記】 武内さやさん(19歳)
雨にもIELTSにも負けず 平成女子高生のロンドン奮闘記

2012年11月の午後、武内さやさんがロンドン事務所にやってきた。

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こんにちは~ごめんなさい、遅れちゃいましたぁ。

―― (背が低いのかと思っていたら座高が低いだけだったのね。立ってると足、長っ)ファウンデーションが始まってもう2ヵ月ね。セントマでの調子はどう?英語、付いていけてる? クラスに留学生は何人いるの?

私のクラスは25人中、私を入れて8人が留学生です。でも(私以外)みんな英語がすごく出来るんです!

―― なによ、武内さんだってIELTSが6以上あるでしょ? オリエンテーションの同窓生たちなんか「さやちゃんくらいペラペラ話せたらいいなぁ」って言ってたわよ。自分より英語下手なのがいると精神的に楽なのだけど、一人くらいクラスにいないの?

私以外はみなインターナショナルスクール出身者でIELTSが平気で7とか8の子ばっかり。私が最下位です。

―― 日本人は武内さんだけなの?

いえ、もう一人いるんですが、やはりインターナショナルスクール出身で8.5もあるんですよ。

―― うーん、それはまずいわね。でも何とかなるんじゃない? (と無責任に流すユニコン)

エピソード(1)初渡英で一発捕獲の巻

―― さて、「今さら」の感がありますが、美術の道に進んだ理由を教えてください。

小さい時から音楽とか美術が好きだったんです。
小学生の時、絵画教室に通っていた仲良しに誘われて一緒に通いだしたのが始まりです。自分の手で何かを作ることも大好きで手芸やビーズにも夢中になりました。
だから、中学に進むとき、女子美附属にするか恵泉(女学園)にするかで悩みましたが、女子美附属だと本当に美術だけになってしまうので将来の選択肢が広がりそうな恵泉を選びました。

―― えーっ、小学生のうちから人生考えていたの? どうすればそーゆー小学生に育つわけ?

親の影響だと思います。
「働くことが当然」という雰囲気が家中にみなぎっていたし、母が某企業人事部勤続25年のいわゆるキャリアママで「これからの社会、男だから・女だからなんてことは言ってられない」という考えだったせいか、私は小学校のころから「女でも絶対に生涯仕事を持て」と言われ続けてきました。

―― 留学というアイデアが芽生えたのはいつ頃?

高校部に進級した年に恵泉をやめて留学した子がいて、「高校留学」という選択肢があることを知りました。気になってブリティッシュ・カウンシルのHPをチェックして留学フェアを知り、フェア会場でユニコン を発見し、ISCA(ロンドン芸大付属高校) にたどり着きました。ISCAは2年制なので、高1を終えたら恵泉を中退してISCAに行けば日本の高校卒の人と同じ年度に学部進学できることがわかりました。

―― でも結局、ISCAには来なかったのよね。当時の(低過ぎる)英語力の問題?それとも好きな男の子がいたのかな~?

いや~ん、違いますよぉ。確かに英語問題はありましたが、私、学校が好きだったんですよ。特に文化祭が。あ、友達も。女子高だからすっごくリラックスできるし。こんな楽しい生活を捨てるのはやだな~と思ったんでISCAはやめたんです。

―― なんだ、そうだったの。ISCAの英語入学基準なんか大して高くないのに、それも無理なくらい英語ができないからあきらめたのかと思っていたわ。うちの社長(ISCA創立者)もちょっとがっかりしていたわよ、あのとき。
ところでイギリス初体験は何歳の時ですか?

中学3年の夏休みです。母に強制的にケンブリッジの英語学校に2週間送られました。
私、まだ15歳ですよ、その時。
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★中学3年生 初めてのイギリス留学★

―― 付き添いもなく一人で?グループツアーじゃなくて、あなたを一人で? 飛行機に初めて一人で乗った行き先がイギリスですか。ひょー、お母さん、思い切りましたね。だって当時の武内さんの英語力つーたら有史以前のレベルでしょ?

ソーリーとサンキューくらいしか言えなかった。おまけに2時間遅れでようやく到着したヒースローではあっという間に入国管理局で捕獲されました。

―― ああ、15歳だったもんね、一人旅の子供は引っ掛かるよ。
はは、言われていることが全然わかんないし。持っていたパスポートや書類を全部取り上げられて、ガイジンのおねえさんに「そこに座ってろ」て(身振りで)言われたんで座っていました。数十分後におねえさんが戻ってきて「行っていいわ」みたいな。到着ロビーに出たら学校が手配した半ギレの出迎えドライバーが待っていました。

エピソード(2)おきあがりこぼし

――16歳(高1)の時の短期留学はユニコンが手配したんですよね。

はい、高1の春休みにセントマ のファッションデザインの1週間コース(16-18歳対象)に参加しました。私以外はイギリス人かインターナショナルスクールに通っているヨーロッパ人ばかりでした。英語は全然わからなかったけれどクラスに親切な子がいたので生き延びることができました。

―― で、次が問題の高2の夏休みですね。

はい、思いきり悲惨でした。このときは(16-18歳対象の)‘Life Drawing’と‘Theatre Design’の2本受講しました。1本目のDrawingは同じクラスに呂沙ちゃん(京都から来た高3)がいたから大丈夫だったけど、Theatre Designの方がね、もう、ご存知のように。

―― 古傷をえぐるけれど、だから春休みに来た時に「キミはアートじゃなくてまず英語だろ!」と言ったのに、またしてもアートだもんね。たく、英語がわからないからクラスで一言も発することができなくてクラスメートと一緒のランチも辛くて間が持たないからって毎日お昼時になるとウチの事務所に来てさ。絶望的な顔をしてじっとりと居座られてさ、ホント、うざかったわよ。それでもあなたは1日も休まなかったのよね。どういう神経してるんだろうと思ったけれど、でも、その点は感心したわ。

あはは、私、とにかく学校は休むもんじゃないという意識を植え付けられているんですよ。授業料だってもったいないし。もひとつ、性格ですかね。
終わりよければすべて良しっていうか、どんなに苦しくても辛くても、終わってみたら楽しかった部分しか覚えていない性格なんですよ。考えてみれば英語ができないためにすごく嫌なこと、いっぱいあったんです。もうあれもこれも恥ずかしいくらい。でも楽しかったな~ていう思い出が一つでもあると、それしか心に残らないんです、私。
たとえば普通に考えれば、15歳でイミグレで引っ掛かるなんてすごい衝撃じゃないですか?
でもその後に経験した楽しいエピソードのおかげで嫌だった部分をほとんど忘れちゃってるんです。
高1と高2で受講したセントマのコースだって最悪だったし、もっと言えば、今通っているセントマのファンデだって、楽しい♥とか言っているけれど実はもう恥ずかしい思いを何度もしているのにね。たぶん、幸せな性格をしてるんですよね、すごく。

―― 日本人には珍しい性格だと思います。何言われてるのかわからない授業って拷問と一緒だもん。普通の神経の持ち主なら登校拒否しちゃいます。その異常なまでに前向きの性格はどうやって形成されたのかな?

やはり、母ですかね。何か起こってもよっぽどのことでない限り、「大丈夫!」というすごく前向きな性格の人です。あと、家にいるよりは学校に居るほうがマシというのが昔からありました。
私、小・中・高と皆勤だったんです。風邪もひかないんですよ 。
(ここでスタッフと武内さんが同時にハモって) ‘バカだから?’
風邪ひかないというより、風邪ひいてるのにも気が付かないというか。母は「気合で治せ」だし。うちは異常なまでに健康一家で、母に至ってはもうサイボーグ。夜の11時とか12時まで残業してきた後で翌日の子供たちのためのカレーを作ってから寝る、翌朝は早起きして娘2人のお弁当を作ってから出社してフルタイムで働いて、週末はサイクリングに行く、みたいな。風邪の疑惑があるときは行きつけの薬局で特別入手したビタミンCと健康ドリンクを飲んで寝ていろ、です。(以下、武内家の異常な健康談が続く)

―― で、高3の夏休みにまた来たんですよね、ロンドンに。

はい、高2の地獄留学で英語の出来なさが身に沁みたので、今度はセントジャイルズ(語学学校) を予約しました。ジャイルズに通っていた3週間は毎週土曜日になるとインターナショナルハウスにIELTSテストを受けに行きました。ロンドン滞在の最後の1週間だけ通えるセントマのワークショップ(サマースクール)という「ご褒美」を楽しみにして。

―― 私、武内さんがIELTSテストの結果(スコア用紙)をロンドン事務所に取りに来た日のこと、覚えているわ。あぅ~お願い~と呻きながら封筒を開けて、中からスコア用紙を取り出して、眼が上下に激しく動いたと思ったら、口が半開きになったまま顔が固まって。あ~~壁を越えられなかったか、と眼をそらしたわ、見ていられなくて。だって涙目になっているんだもの。

うれし泣きですよ。だって、5.5ですよ、いきなり!
私のIELTS初体験は高1のとき。親に言われて受けたはいいが、結果は3.5という悲惨なもの。ビックリ、ははは。高2の地獄留学を終えて日本に帰ってから一生懸命勉強して親に尻を叩かれながら何回かIELTSを受けたんだけど4.5止まりで動かなかったのに、ジャイルズにちょっと行ったら飛躍的に伸びて驚きました。私が英語らしきものを喋れるようになったのは、この時からだと思います。
この高3の夏の留学は本当にハッピーでした。IELTSが取れて、ジャイルズで知り合った台湾の子たちと楽しく過ごせて(今でも仲良しです)、セントマのサマースクールもうまくいって。
それにしても、毎回飛行機に乗るときは「なんで行くのかな~私、行くと苦労ばっかりなのにな~」って思うんですけど、でも来ちゃうんですよね。頭悪いのかなぁ。

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★語学学校セントジャイルズで仲良くなった台湾人の友達と ★

―― いえいえ、それはロンドンにはsomething surprisingの発見があるからでしょう。

うーん、そうですね!確かに。日本は安全で大好きです。大好きな家族も大事な友達もみんな日本に居るし。
だけど私、留学という選択肢を知ってしまいました。海の向こうで勉強している人達がいる事を知りロンドンでの勉強は苦しいのになぜかおもしろいという感覚も味わってしまいました。
こんな禁断の味を知ってしまった後で日本の大学に進んだら、必ずいつか「あの時ロンドンに行けばよかったな〜」って後悔するだろうと思ったのです。

エピソード(3)オリエンテーション4月コースは日本人が花盛り

まあ、そんなこんなで今年(2012年)の3月には高校を卒業して、バンドも終わりにして(ガールズバンドでドラムをやっていました)、4月のオリエンに向けて渡英してきました。

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★高校生時代のガールズバンド★


―― クラスのメジャーがユニ学生である点も含めて、セントマ・オリエンテーションの悪いところ良いところを正直に話してください。いいわよ、何言っても。どうせ私も余生が短いし。

初日オリエンの教室に入ったとき、あまりに日本人がたくさんいて一瞬引きました。嫌というのではなく、ロンドンにいてこんなにたくさんの日本人がまとまっている場面に出会ったことがなかったから。「せっかくロンドンで勉強するのにこういう感じか~」と。

―― 今年の4月のオリエンは35席中29席がユニコン学生で占められていたから或る意味、壮観な眺めだったでしょう? でもさ、(卒業が一律3月という)日本の学校システムのせいで4月オリエンはほとんどユニ学生だよって始めから言ってあるじゃん。

そうなんですけど~、あそこまでとは思いませんでした。でも、後になってあれですごく良かったと思いました。
実は別のタームのオリエンを受講した人達の話とかも聞くんですけど、うちら(4月)のオリエンが一番良かったんじゃないかなぁ。特に人が。みんな面白かった。日本に帰ってからも近場の仲間たちとご飯に行ったりしていました!

―― ご飯はいいけどさ、オリエンの授業でチューターの説明がわかんないときはどうやって誤魔化していたのですか?

チューターが課題の説明を終えて「ハイ、始めて!と言うとクラスが「シーン」となるんですよ。静止状態、みたいな。
そこで誰かが「ちょっとぉ~、今の説明、誰がわかったぁ?私たちは何すればいいのぉ?」って声を発すると全員が集合するの。そしてそれぞれが聞き取れた情報を出し合って、「こういうことをするっぽいみたい」「多分こういうことじゃないのかな?」てディスカッションして、最終的にかおりちゃん(クラスで一番英語ができた子)に確認。かおりちゃんが「そうだと思う」と言ったらGOサインが出たということで制作作業に入っていました。

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★オリエンの授業風景★

―― なるほど、日本人ならではの英語の出来なさが皮肉なことにクラスの結束を強めるのに役立った、というわけね。実はそこなのよ、クラスのメジャーが受講目的を同じくする内気な日本人だからこそ、オリエンは歴史的な成功を収めてきたのよ。ここんとこを日本人にわかってもらうのに時間がかかるんだけどね。私が東京事務所の相談会なんかで「オリエンのクラスはほとんどがユニ学生です」と説明すると大半の人が「えーっ、それじゃ英語の勉強にならないじゃないですか?」って言うのよね。英語がうまいガイジンと混じっていたら何か自然に英語が上達すると思っているのよ。で、私が「あなたたちの英語に我慢して長々と付き合ってくれる奇特なガイジンはどこにもいません」と言うとようやくシブシブ納得するっていう感じなのよ。セントマは語学学校じゃないっつーの。でもね、日本人に欠けているのは英語だけじゃないから問題なのよ。

そうです。オリエンがどんだけ役に立つコースかっていうのは、ファウンデーションが始まってからよくわかりました。実は、ファンデで今やっていること、オリエンテーションでやったことと色々カブってるんですよ、プロジェクトの内容もテーマも。
たとえば、「リサーチして」と言われて何すればいいのか最初からわかってる日本人っていないはずです。「プロジェクト」て言われたって「何すればいいの?」ってうろたえる人がほとんどだと思います。
コンセプトって何よ?なんで作品の完成度より「プロセス」が大切なの?
「デベロップしてエクスプロアしろ」って、もう、何語なのよ?という感じじゃないですか? 
プレゼンだって、ディスカッションだって、日本じゃそんなことほとんどやらないじゃないですか。大体、IELTS 5.0くんだりでナマのイギリス人とどうやってディスカスしろっていうんですか? そうした、日本人にとって???(わからな過ぎる)ことをポートフォリオ制作を通して教えてくれたのがオリエンだったんですよ。オリエンはファンデの予備校的役割をしていたんですね。

ファウンデーションではコースの第一日目からクラス全員がそういうスキルを全部理解していることを前提にして授業が始まるんですよ。当たり前ですよね、元々が2、3年もかけてそういう訓練を積んできたイギリス人を対象にしたコースなんですから。外国人だからって全然容赦してくれません。
私なんかコース2日目にいきなり「プレゼンしろ」です。こんな英語力だからしばらくクラスの語り草になるほどの間抜けなプレゼンでしたけど、あれでもオリエンでひと通り鍛えられていたからヘタクソでも出来たんです。オリエン無しでいきなりファウンデーションに入学していたら、と思うとゾッとします。一日も耐えられないかもしれません。特に私のようなアートも英語も初心者レベルなら尚更です。シカトされるのを我慢してそこにいるだけの人になっちゃいます。生き地獄ですよね。
とにかく、オリエンはすごく楽しかったです。トシや学歴に関係なく、皆タメ語なんですよ。そこが特によかったです(そこかよ!)

―― オリエンが終わって仲間があちこちのコースに散って、ほとんどがクラスで「一人きりの日本人」になりましたよね? 今となると「日本人がズラー」のオリエン時代が懐かしいでしょ?

ええ、実は今週末もオリエンの仲間たちと会うんですよ。みんなちゃんと生き延びてるー?て、確認しあうために。授業大変なのが自分一人きりじゃない、辛いのはみんな同じなんだって思うと勇気が出るんです。

■ それにしても日本が北朝鮮より英語力が低いのはなぜか?

日本人以外の外国人は本当に英語がよくできます。セントマに限らず、ロンドン芸大のファンデ学生でIELTSが入学基準ぎりぎりの5.0しかないのって日本人だけじゃないかな? たまに英語の上手な日本人がいると思うと、インターナショナルスクール育ちでIELTSが8.5とか、いやになっちゃう。

―― ユニコンもいやになってます。このテーマについてはユニ学生の間でも頻繁にディスカッションが繰り広げられています。最近、特にひどいでしょ、出来なさが。アジア24ヵ国中、TOEFL学習者の平均スコアが日本より低い国って、もう、ラオスとミャンマーしかないのよ。一般人の海外渡航が禁じられている北朝鮮にまで追い抜かれたってどんだけよ?

言葉の順番とかが違うせいかな。あと文法? でもそれは他のアジア諸国も同じような条件ですもんね。

―― ここまでくると、もう後天的DNAの問題なんじゃないかっていう説もあるのよね。日本人って狩猟民族じゃないでしょう。農耕民族の緩さっていうか?そういうことしか考えられないのよね、もう。10年前のユニコン学生の平均IELTSスコアは今よりも1.5ポイント高かったのよ。当時のユニ学生は悪くても5.0から始まって3ヵ月目で6.0から6.5になっていた。当時、たった1人だけど3回受けても4.5不動の学生がいたけど「すみません、バカで。早く人間になりたい」って言ってたもの。それが今や、大卒でも堂々と3.5とか4.0とか取っています。もう、DNAあたりにケツを持っていくしかないでしょう? 解決案として考えられるのは英語出来る人のiPS細胞を移植するという手くらいか。もう、山中教授にお願いするしかないですね。

■ 学部進学が保証

―― 今年度からロンドン芸大ファウンデーションを受講する外国人学生には、学部進学が保証されることになりましたね。

ええ、ファンデにきっちり通ってIELTSスコア(6.0)さえクリアすれば(第一希望とは限らないけれど)ロンドン芸大カレッジのどこかの学部には必ず入れることになったみたいです。ラッキー?!
なので、IELTSが6.0未満のファンデ学生には本コースのほかに英語の補習授業が追加されているのですが、これに真面目に出席さえしていれば「英語OK」ということにしてくれるそうです。私は既にIELTS 6あるので(えへん)出なくてよいのですが、たいていの日本人は出席が義務付けられています。

■ Diagnostic型ファウンデーションについて

―― ファウンデーションの話をお聞きしましょう。ほら、セントマのファンデにはDiagnostic (診断方式型:ダイアグノスティックと発音する)という舌を噛みそうな名前の専攻ルートがあるでしょ?オリエンテーションしかアート経験がないユニ学生の多くがこのルートをオファーされますよね?学部課程で何を専攻するべきか、学生の成長を観察しながら決めていこうというので‘診断型’というネーミングがつけられたのですね。

私もDiagnostic専攻です。
Diagnosticグループでは各自が5つのpathways (Fine Art, Graphic, Fashion, Performance Design, 3D)から3つ選びます。これら3つの各分野にそれぞれ1週間ずつかけて行うのが第1ラウンド(3週間)になります。これにはDiagnosticグループの学生たちだけで取り組みます。
3週間後に3つのpathwaysを2つに絞り、それぞれの分野に2週間ずつかけて再び取り組みます(第2ラウンド:4週間)。
その後チューターと面接をして最終的にpathwayをひとつに絞ります(私は今、この段階です)。ひとつに絞ったところで既存の5 pathwaysに合流することになっています。
私が最初に選んだのは 3DとGraphic と Fine Art の3つ、次に3Dと Graphicの2つに絞りました。で、今はこの二つのうちのどっちにしようかな~と悩んでいるところです。どっちも楽しかったし、どうしようかなあ。けっこうぎりぎりまで悩んじゃうと思います。

―― 将来入学してくるユニ学生のために、クライマックスの第2ラウンドで取り組んだ作業の内容をかいつまんで(具体的に)教えてください。武内さんが選んだのは3DとGraphicですよね。

■ 3Dの授業でやったこと:食べる

2週間の3D授業のテーマは‘EAT’でした。EATに関するリサーチをし、そこから得た情報を基にして3D作品を作るというのが課題です。テーマタイトルに関係ありそうなものなら何でもいいということなので私はカフェとFOOD関連イベントに取り組みました。リサーチのために牧場にまで出かけたクラスメートもいました。
3DはArchitecture(建築デザイン)とProduct Design(プロダクトデザイン)とJewellery(ジュエリーデザイン)の3つのエリアに分けられますが、Jewelleryエリアの人が作ったのはFoodに見立てたジュエリーそのまんま、建築エリアはレストラン(そのまんま)、プロダクトの人は食器だったり、椅子だったり、という感じでした。

ちなみに授業は週3日です(例の強制英語授業のある人は週4日ですけど)。とはいっても、授業が無い日でも遊びに行く時間はありません。とにかく課題で忙しいんです。

    ★3DクラスのExhibition ★         ★3Dクラスのスケッチブック★
3Dクラスのexhibition.jpg 3Dクラスのスケッチブック.jpg


■ Graphicの授業でやったこと:①キャラをカタチにする

最初の課題は‘アイデンティティ・プロジェクト’という、誰かにインタビューをして聞き取った内容をもとにその人のアイデンティティをカタチにして写真をとる、というものです。

―― カタチにするってどういうことをするのですか?

なんでもいいんですけど、たとえばこれまでの人生の中で痛い思いをした経験はどんなことだったか?幸せを強く感じたのはどういうことであったか?とか、の質問をしてその回答をビジュアル化するということです。

―― ビジュアル化するって?武内さんがやったことを具体的に教えてください。

私はインタビューした相手の女の子に「もし映画に出演できるとしたらどんな役割を演じたい?」と聞きました。「ヒーローみたいな役を演じたい」というのが彼女の答えでした。そこで私はアメコミ風のセットみたいなのをペーパーで作りました。
もちろん、すべて手作業です。ちなみにファンデのチューターは「ペーパーで」という点に大変こだわります。当然、パソコン使用はNoだし、‘NO Photoshop!!’と常にうるさかったです。ですから、もう、本当に「工作」って感じです。写真を作って、フレームを作って、吹き出しの画像なんかもみんな手で作って。アメリカ生まれのスーパーマンはユニフォームの胸に「S」の字が入っていますが、彼女の名前はNatalieなので「N」に変えました。
え、単純ですか?ええ、このプロジェクトはどこまで単純化できるかというところがミソなんですよ。私はこういうのが大好きなので、とても楽しかったです。

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★武内さんの作品: N ★

■ Graphicの授業でやったこと:②重要なブロッコリ

‘形容詞’と‘名詞’をランダムに渡され、「2つの単語を組み合わせたフレーズを基にしたイラストレーション」というのが2つめのプロジェクトでした。たとえば、渡された単語が‘explosive(爆発性の)’と‘pajamas(パジャマ)’なら‘爆発的なパジャマ’というフレーズになりますが、そのフレーズからイラストしようというものです。そもそも、このプロジェクトのタイトルが『Important Broccoli(重要な・ブロッコリ)』なんです。私に渡されたのは「ニュー・ブロッコリー」でした。「めがねをかけた・爆発」とかもあったな。英語力がないと発想力も出ないから結構難しい。

■ Graphicの授業でやったこと:③タイポグラフィー

3つめはタイポグラフィー・デザイン。タイポの歴史などの教養部分には触れず、「純粋にLETTERで遊ぶ」という段階です。渡されたアルファベット文字のデザインが課題で、私は「P」をもらいました。pleats(プリーツ)の連想からPというレターを全部プリーツであしらってみたり、Pinch(つまむ)の連想から何かにつままれて伸びている形のPの字を作ったりしました。他のクラスメートのアイデアで面白いと思ったのは、zip(ジッパー)で作ったZや2羽のswan(スワン)で作ったS、bee(ハチ)で作ったBなんかですね。作ったレターをシルクスクリーンでプリントしました。1日目に黒を刷って、2日目に赤を刷っての2色刷りです。

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★武内さんの作品: Pinch ★

■ Reflective Journal:収穫日記

これは「やったことを書き留める」というものです。私はどんなふうにすればいいか考えたあげく、右ページを英語で、左ページは日本語で、というふうに見開きで一組にしました。すぐに英語で書けないことは日本語で書いておいて、後で訳して右に移す、とか、そういう工夫をしています。(一同感心)

■プレゼンテーション

たくさんあります。ファンデのコースが始まってまだ8週目くらいですが、もう4回やってます。

―― クラスで一番英語力が低いのによくやっているわ。足がすくみませんか?

1回目のプレゼンで恥かきまくったので平気です。

―― ああ、さっきちょっと話していたファンデ2日目のいきなりのご指名プレゼンのこと?

コース開始2日目にパフォーマンス用のコスチュームを作ろうという課題が出されました。私はファッションが一番苦手なのに、なぜかそういうグループに入れられてしまい、しかもプレゼンの一番バッターを命じられてしまいました。やけくそで体当たりしたプレゼンの中で「肌が透けて見える感じのニット」と言いたかったのに(単語がすぐ出てこなくて)「Knitting on skin」(肌にニットを縫いつけます)と言っちゃって、クラス中大爆笑です。もう自分でも言ってることがよくわかんないからそのおかしさにも全然気づかなかった。「え、何が悪いの?」みたいな。

後でクラスメートから「君、ファインアーティスト?」(トンでるという意味で)とか、「おすすめのアーティストっている?」とか聞かれて。今でもネタにされています。

―― いやいや、大したもんです。だって昔の武内さんだったらknittingどころかskinという単語すらスラスラ出てこなかったでしょ? てゆうか、準備もなくいきなり名指しされてのプレゼンでonなんて高等な前置詞がたとえ間違いでもスラッと口から出るようになったこと自体がすごいよ。

それ、ほめてるんですか?

■ セントマってどんなところ

まだ1年目なので全貌はわからないんですが、学校全体がピリピリした雰囲気に包まれていて、変わっている人が多いと思います。つんつんしている人も結構多いかな? いや、もちろん優しい友達も良い人もたくさんいますよ。「これが才能というものなのか!」と衝撃を受けるような学生に続々出会います。さすが、レベルが高いです。

先日、(来年の学部進学の)様子見目的でチェルシーカレッジのオープンデーに行ってきたんですけど、「これがユニコンの言っていた学校の雰囲気の違いなのか!」と驚きました。空気が柔らかかったです(笑)。学生たちの雰囲気もセントマと違いましたね。でも、ファンデーションはセントマで良かったと思っています。やっている事もこれからやる事も大変そうだけど楽しそうだから。頑張りたいです。

―― まだファウンデーション中の武内さんに訊くのは早い質問かもしれないけれど、将来どんなことに従事していたいですか?

あちこちに目移りしちゃってるんですけど、今一番興味があるのはプロダクトデザインです。カテゴリーが全然違うけれどショップウィンドウのディスプレイにも凄く興味があります。
媒体も全然定まってないけれど、使い手や見る側の気持ちを熟慮した「モノ作り」をしたいなと思っています。


ロンドン芸術大学、セント・マーチンズでのリアルタイム奮闘記は武内さんのブログへGo!!!
http://ameblo.jp/38london/

【編集後記】
武内さんはセントマのファウンデーション修了後、セントマのBA Product Designに進学。
2015年現在Year 2に在籍中。
初めて会った時は中学生だったのに、時が流れるのは本当に早いなぁ・・・。(遠い目)

投稿者 unicon : 11:09

2011年11月21日

【コース体験記】松下裕子さん : 「私の生きる道」 アラサー、MAへのジャンプ進学を果たす。

東京の大学で国際学を専攻、卒業後はインテリア関係の会社に就職。営業のバリキャリとして8年目にさしかかった2009年、ロンドンのアート道に降り立つ。セントマーチンズのオリエンテーション→ファウンデーションという王道を辿るも、思うところあってロンドンを退去することに。語学学校で1年間英語を再ブラッシュアップし、2011年9月、ボーンマス美術大学大学院へのジャンプ進学をキメたのが今回のヒロイン、松下裕子さんです。
タイミング良くユニコンの近所でグループ展覧会に出展するという情報を得て、ユニコン情報部(1名)は会場に駆けつけました。展覧会を案内してもらうという目的だったのに、いつのまにかアラサー留学を決意した彼女のヒストリーを根ほり葉ほり「聴取」することに。だって同じアラサ―のシングル情報部員としてはそこが一番聞きたいところですもん。
それでは松下さんの「私の生きる道」を展覧会の写真と一緒にご紹介します。












まずは展覧会の成功と大学院合格、おめでとうございます。
ありがとうございます。大学のアプリケーションと展覧会の準備で本当にてんてこ舞いでしたが、やっと一息つけました。ここのギャラリー、最近オープンしたばかりなんですよ。まだペンキの匂いがするでしょ?展示物の搬入や設置スケジュールも押しに押して、本当にオープンできるのかとハラハラしました。

ありがちなこととは言え、大変でしたね。ここはオーナーが韓国の方なんですよね?
そうです、この向かいの韓国料理屋とその隣の韓国食材店のオーナーが新設したギャラリーなんです。この展覧会はユニコンつながりで知り合った天野さんのプロジェクトなんですけど、天野さんと組んでいるのが韓国出身のセントマMA時代の仲間で、そのつながりからこの会場に決まったようです。

この辺(大英博物館前の通りでその名もずばりMuseum Street)は韓国系の勢いがすごいですもんね。認めたくないけど、日本人はもう完全に日陰の存在ていうか、美術館前のホットドッグスタンドですら、張り紙に書いてあるのは韓国語のメニューだけだし…なんか寂しいですね。
ところで、大学院課程では何の学科に進むんですか?

「イラストレーション」です。いくらセントマでファンデをやったとは言え、学部課程を飛ばしていきなり大学院になんて本当に行けるのか?!と、出願準備をしているときは半信半疑で不安でしたけど。語学学習で明け暮れたこの1年は(当たり前ですけど)ファンデ時代と比べると集中度がかなりダウンしていたし制作にも限りがありました。ファンデをやっただけじゃアーティストとしての年季が不足しすぎですから、もうちょっと「詰めて」「開拓」したいので、コースが始まったら自分のやりたいことに集中するつもりです。田舎ですからロンドンのように色々と誘惑がない分、気も散りませんしね。

そういう固い意思をもっていらっしゃるのならどこでも大丈夫ですよ。でも松下さん、当初は1年間だけの留学予定だったんですよね?
そうです。あの頃は就職して8年目で仕事がすごく忙しかった。そういう生活に疑問というか、色々考えて、ひと区切りつけて留学しようと決めて退職願を出しました。会社のほうからは「まあ待て」と言われ、話し合って「とりあえず1年間の休職扱い」という扱いで渡英しました。

インテリア関係の会社には7年お勤めと聞きました。けっこう長いキャリアですよね。
忙しかったけれど楽しかったから。もともと何かを作ることが好きだったので、インテリアという「身近の空間」に関われることに興味を惹かれて入社しました。大手だったのでかなり大規模なことをやらせてもらえたしやりがいがありました。モノづくりの現場を間近で見られることも楽しかった。

それなのに?
ええ、それなのに、です。7、8年も経つと中堅どころとして「プロの営業」としてお客さんのところに行かなければいけなくなります。若手の時は「勉強」ということで自由な面があるのですが、中堅ともなるともっと「営業らしい」ことを求められるようになります。それが「なんか違う」と感じ始めたきっかけでした。営業職だからデザイナーを紹介する、制作者を紹介する、そういうコーディネートはできるけど、自分自身は何も作れない。そういう歯がゆさも少しずつ蓄積し、8年後にはけっこうな不満になっていたと思います。
「違うな」がやがて「このままでいいのかな」になって、「退職して外に出ようかな」になりました。

で、「作る」側に回りたいと?
ええ。作ることを学べばもっと踏み込んだ企画営業ができるかもしれないと考えて、ユニコン事務所にコンタクトしました。

その時はチェルシーカレッジのGraduate Diploma in Interior Designに申し込んだのですよね。
それがなぜセントマのファウンデーションに?

面接を経てGraduate Diplomaのオファーをもらった後で、「アートのしろうとがいきなりのGraduate Diplomaはないだろう」とアドバイスされ、セントマのオリエンテーションで本コース前のウォーミングアップをすることにしたのです。
オリエンテーションでアートのイロイロな分野を経験するうちに「クラフトみたいにもっと自分の手を動かして作りたい」と思うようになりました。で、自分で作りたいということはわかったけど、どうすればいいのかという点になると不明瞭で、それが進路をセントマのファンデに変更した理由です。

Graduate Diploma in Interior Designコースなら履歴書の学歴欄を堂々と飾ることができるのに、いくらセントマでもファンデだと飾りとしてはちょっと役不足でしょう。ファンデを選ぶことに迷いはなかったのですか?
ファンデ進学を決心した時点では翌年会社に戻る気まんまんだったので、再就職のための履歴がどうとかは悩みませんでした。7年以上勤めている中堅は会社にほとんどいなかったので、復職後の地位は保証されているしちゃんと仕事はできるぞという自信もありましたし。ま、1年ぽっきりの休職だからやりたいことをやればいいと。

それが。
ファンデをスタートした頃、会社が早期退職者を募ったことを知りました。その募集をきっかけに「戻るか戻らないか」と、もう一度自問自答をし、心が決まりました。もう辞めちゃおう、と。会社の同僚からは、やりたいことが見つかって早期退職金までもらっちゃって「棚ボタだろ」なんて言われたけれど、それはそれで今度は「その後」を考えなくてはいけません。なんとか1年でスキルをモノにしなきゃと、ファンデ時代はもう必死でガリガリやりました。

ところが1年では終わらなかった。
ファンデで色々やっているうちに自分の欲しいものが明確になり、もっと追求したいという気持ちが強くなったのです。「向いている」と「楽しい」の両方の感覚を満たす分野として「イラストレーション」が浮上してきました。
とは言え、絵だけ描いていて楽しいわけじゃないので、「紙」を自分のメディアとして大切にしていきたいと今は考えています。しかしこの「紙」も最終的なメディアというわけではありません。もっとファインアート寄りで行きたいのか、デザイン寄りなのか、デザインの中でもアート寄りにするのか、それともプロダクト化が可能なコマーシャルな作品にしていくのか、そのあたりは自分の中でもまだ定まっていません。向こう1年かけて見極めたい課題です。

なぜ「紙」?
自由に扱いやすくて色々な可能性を広げやすいからです。たとえばちょっと折ることで扉に見えたりとか、紙って折ることで全然変わるんです。そこがまた私のテーマである「ファンタジー」と「クリエイティブ」につながるんです。
紙に惹かれたきっかけは?
私、高校生の時から「オレンジページ」や「主婦の友」なんかの主婦系雑誌を読むのが大好きで、ほら、紙で作るクラフトや便利グッズのアイデアに満ち溢れているじゃないですか(だから早く嫁に行くだろうって言われていたんですけど、へへへ)。きっかけというか、ルーツはそのあたりにあるのかも。

松下さんの進路を揺るがしたセントマのファンデについて一言お願いします。
ブランドネームのある有名校だから色々なコネクションを持っていて、それが大きなメリットをもたらす機会につながること。たとえば、ファンデの卒展で私の作品を見たグラフィックのチューターが「フィルムを作っている友人がストーリーボードを描けるイラストレーターを探しているけど興味はないか?」とコンタクトして来たり、とか。たかがファンデと思っていたのにそんなチャンスが予想以上にありました。ですから、セントマで作った繋がりは今でも大切にしています。
ただし、「教えてもらう」というスタンスでいると全然だめです。こちらから求めていけば応えてくれる懐の深さはありますけど。ユニコンからも最初からそういう説明を受けていましたが、まあ想像以上でしたね(笑)。

さて、ちょっと話題を変えていいですか? 
留学は松下さんの人生をより幸せなものに変えたでしょうか?

まだよくわからないけれど … 以前は自分のアイデンティティがはっきりしなくて、学生時代も「学生です」としか言いようがなかったのが、ここにきて「自分はこういうことをやっています、作っています」と言えるようになってからは話の広がり方が以前とは違うようになったと思います。「自分のコネクション」と言えるつながりも広がってきたと思いますし。
たとえば、この前、日本に一時帰国した時たまたま寄ったお店のオーナーが元キュレーターで多様なコネクションのある人だったんですが、その方が業界でかなり力のある方々を紹介してくださったおかげで素晴らしいフィードバックをもらえたんです。そこで、「あ、イケるかな」という自信がついて今に至っています。もちろん、営業職時代もそんな広がり的なことはあったけど、それは自分自身のものではありませんでした。でも今は『自分がやったことに対してダイレクトに反応が返ってくる』ことの醍醐味を味わうことができます。


心の幸せってことですね?
そう、自分の中での優先順位がクリアになりました。別に新しい服とかを買えなくてもまあいいや、みたいな。
今は営業職時代以上に作業していたりしますけど、自分がやりたくてやっていることだから苦にならないというか、満足感があります。たとえ今すぐ日本に帰国したとしても、もう前のような仕事はしないな、と思います。自分の時計に合わせた仕事をして空けた時間を好きなことにつぎ込む。まあ食べるために仕事はするけれども、自分の「これだ」を続けるための時間のほうを大事にしたいということです。
日本のクリエイティブ業界ってもう24時間働いているような状態じゃないですか。あれはできません。

こちらの人は、どんなときでもプライベート優先ですものね。
ええ、あれは日本人がもっと見習うべき点だと思います。私ね、渡英当初、自分がホントに日本人だなーとつくづく思ったのは、常に「将来のことを色々心配しながら何かをしていて」「先が決まってないと心配でしょうがない自分」がいることでした。こちらの人っていつでも「今」を楽しむというか、良くも悪くも先のことをあまり考えていないですよね。そういう姿勢からはやはり学ぶものがあって、私もこの頃少しは変わったかなと思います。あまり先のことをあれこれ考えなくなったんですよ。とは言いながら、ギリギリそれなりに考えているつもりなんですけど、先を(笑)。

なるほど。心の幸せは○印として、営業職時代と比べて当時のほうが良かった点は何ですか?
それはもう、お金です。はっはっは。安定とお金、これですね。でも長い目で考えれば会社だっていつまで存続しているかわからないんだし、そういう不安定要素に頼っているよりも、自分で「これ」というものを持てた今のほうがいいよねっ!と考えるようにしています。

 
グループ展に参加した他アーティストの作品

ビンボー生活の秘策は何ですか?
切りつめることです(笑)。営業職時代に比べるまでもなく、超質素です。日本に帰国した時に洋服やなんかを見て買おうかな、と思っても、ついポンドに換算して、次の瞬間勝手に自分で慌てて、「ああ、高い高過ぎ、買えない買えない」みたいな。

(さあ、ここでアタシが最も聞きたかったトピックだ)松下さん、結婚のほうのご予定は?
ノーコメントです(笑)。ただ、年齢のしばりとか3高とかみたいなものは全く気にならなくなりました。子どもがいない生活とかもありかな、とか、こちらに来て色々と価値観は変わったと思います。

あらー、随分あっさりですね(気負っていた分、膝が抜けた情報部員)。
そうですね、「周りの目がない」というのも大きいですが。やっぱり日本にいると、周りはみんな結婚して子供も産み始めて・・・って、そういう「流れ」がありますよね。でも、こちらの人はマイペースというか、何歳で就職して結婚して、というような社会的縛りが日本ほどきつくない。わたしは周りに影響されやすいタイプなので、日本にいたらもっと違う風に感じていたかもしれません。そういう意味では、イギリスの環境がプラスになっているとは思います。自分がいいと思えているのならそれでいい、というスタンスが社会的に認められる風潮があるでしょう。

なるほど。なら、「10年後にはこうなっていたい」みたいな理想の青写真なんかはありますか?
実はファンデを修了した時、「40歳までに一人前のイラストレーターとして食べていけるようになる」という目標を立てると同時に「これから3年間がんばっても全然食べていけないようだったらこの道はスッパリあきらめよう」と決めていました。今はまだまだだけれど、いろんな可能性が広がっているのを実感できるのでこのまま頑張りたいと思います。
また、デザインやアートはやはりロンドンに集中しているけれど、これからはボーンマスのような田舎からロンドンに発信していくとか地元で独自のマーケットを作るとかいうことにも挑戦していきたいです。ロンドンのように競争が激しいスポットで戦うのではなく、「外から発信」の形で活動できたらいいですね。究極は、そうやって「自分の好きな土地で子供を育てながら自分のスタジオで創作をする」…という形が理想的ですけど、ははは、いつのことになるやら。

(結婚のトピックではあっさり肩すかしを食らったけれど、もう一つアタシが聞きたかったトピックがある)
長々とプライベートなことを聞いてばっかりでごめんなさい(と、口先では謝りながら)アラサ―留学に関して何かアドバイスをいただきたいんですけど?ほら、アラサーって、日本だと「今さら留学?」と言われがちなお年頃じゃないですか?

遅くはないっていうのはこっちに来て思いました。「遅いは遅いで売りになる」と、ギャラリーの方もおっしゃっていました。ただし、「遅咲き」というキャッチフレーズを使える時間は短いから早く上がらないといけない。早く始めた人なら助走を長く取れるけれど遅咲きはゆっくりしている時間がない。30歳過ぎから「咲こう」とするのなら、「その後何ができるか」ということも考え合わせて「腹を決めてかかる」覚悟が必要だと思います。
それこそロンドンだとすごい数のアート学生がいて皆、展示活動なんかしているけれど、いつの間にかそれっきり、ということも多いでしょう。一つの機会を次にどうつなげていくことができるかが分かれ目だと思います。一人前の作家としてやれている人というのは学部課程時代から「自分の作品として売れるかどうか」という、ある意味「営業的」視点で制作していた人が多いのです。そういう意味では、社会人を経験してきたアラサ―は実地経験を強みとして活かせます。

腹をくくって来い、というわけですね。
そうです。遅くはないけど覚悟は要るよ、という。私の場合は復職するつもりでしたから覚悟の種類は違っていたけれど、それでも「覚悟」はありました。休職までして手ぶらでは帰れませんからね。日本に帰ったときに「1年何してきたの?」と聞かれるのが一番困るわけですから。
渡英後に目的や予定が変わるというのはよくあることです、私もそうだったし。でも、行けば(自然に偶然に)何か変わるんじゃないか?という他力本願ではいけないと思うんです。「場所」に依存しても何も起こりませんもの。「偶然の(チャンスとか)(男性とか)(あれやこれや)素晴らしい出会いがあるかも」と期待しすぎるのも危ないですね。それだとなんだか方向性が違ってきちゃうので(笑)。ミラクルは期待せず、覚悟だけを胸に詰め込んで、ですかね。
今このままでいいのかわかんない、海外へ行ってみようかな、っていうのは私の世代の女性がわりと考えることだと思います。それはいいきっかけですが、できればそこからもう一段踏み込んで、「一旗揚げてやろう」くらいの気概で思い切り勝負したら、自ずと結果は違ってくると思います。
だって、私たちより一世代下の若い人たちってあまり元気じゃないっていうか、どこかに必ず予防線を張っている感じがあるでしょう?十年前の私たちはそういうことをあまり意識していなかった。だから30で留学できるのかもしれないけれど(笑)。30代!まだまだ人生これからですよ!(と松下さんにすごまれ、じゃなくて励まされる情報部員であった)


松下さんのウェブサイトはこちら:http://hirokomatsushita.com/index_jp.html
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2010年09月11日

【コース体験記】Chelsea Collegeファンデ 小泉夏さん

チェルシーのファウンデーションのカタチ
チェルシーのファウンデーションは●3D Spatial ●Fine Art ●Visual Communication ●Fashion & Textileの4分野に分かれています。私が属しているのは3D Spatialですが、これはさらにProduct, Interior, Architecture, Jewelleryの4科に細分化されていて私はJewellery科を選択しています。3D Spatialに属する学生は全部で70~80人でそのうち50人が外国人学生です。

時間割
週4日は授業があります。月・火・金はスタジオ作業日(たまにプレゼンも入る)、水はレクチャーと英語の補習です。
授業は適当な感じで進みます。今日だって予定では午前中にひとコマ授業があったのに参加者があまりにも少ないため、先生が「じゃ、適当に各自制作って感じにしようか」って…学部進学の面接が終わったせいか、この頃は学校に来る人が特に減りました。

出席率
1学期はそれなりにみんな来ていたけど、2学期になるとがくんと減って、3学期の今はほとんど誰も見かけないような状態です。コース開始当初からあまり来ていないため先生に顔を覚えてもらえず、この時期になって突然フラリと登校してきたところ、「あなた誰?別のクラスから移ってきた子?」と聞かれるようなツワモノもいます(笑)。生徒がそんな調子でも先生たちは責任感の強い方が多いです。生徒の顔も(出席していれば)覚えてくれているし、しばらく来ない子がいると「○○さんはどうしてる?最近見ないけど」などと気にかけてくれます。出席の取り方は先生によって違います。ちょっとの遅刻でも欠席扱いにする先生もいれば、ちょこっと顔を出すだけでもOKな先生もいます。

エッセイ
量的にはセントマよりもチェルシーのほうが断然多いです。
初エッセィは「チェルシーのファンデに来て学んだこと、発見したこと」というお題で500語が1本。2学期には学部進学用の「Personal Statement」(500語)と自分のリサーチしたことや参考にしたアーティストについて書く「Research Writing Project」(1500語)の2本。3学期には「My Final Project」(500語)が1本。大変でした。中でも1500語の奴が長い分だけ特に大変でしたが、とにかくジュエリーの歴史とかデザイナーについて破れかぶれの勢いで書きまくりました。
最初はエッセイが苦手でしたが、嫌々書いているうちに慣れてきて自信がついてきました。これがIELTSのスコアに反映されるといいんだけど。

英語の補習
英語の補習クラスは20人~30人くらい登録しているのに顔を出す学生はいつも4、5人しかいません。私はいつも行っていますよ。

ワークショップ設備
チェルシーはインテリアと空間デザインが看板コースなのでその方面のワークショップ(機材の入った部屋)が充実しています。私が選択しているJewellery科向きのワークショップは特にないので私は専ら家で作業しています。

 

友達
私は中国語ができるので中国人の友達が多いですが、Chelseaの中国人は(日本にいる中国人に対するありがちなイメージと違い)ほとんどがBoarding School(英国の寄宿制学校)上がりの富裕層なので、がつがつしてないし英語にも不自由していません。クラスのみんなとはもちろん仲良しだけれど、実は一番仲がいいのはセントマのオリエンテーション時代のクラスメートたち(日本人のユニ学生)です。今通っている学校はみんなバラバラですが、互いにこまめに連絡をとりあって集まっては楽しかったオリエン時代の思い出や将来の夢に花を咲かせています。

 


チェルシー大好き
通っていると気分が良くなる学校です。テムズ川もすぐそこだし雰囲気がいいんです。そりゃプロジェクトとかは大変だけど学校に行ったら友達がたくさんいるし自分の好きなことができるから大学ってほんと楽しいなって思います。小学校のときから学校が楽しいとか行きたいなんて思ったことなかったのに。私もそうだけど、留学生は「留学しよう!」と自分で決心して来た人たちだから意識が高くて刺激されます。他のファンデには通ったことがないからわからないけど、ここにきてよかったなって思います。
嫌なところ?ほんとにないです。しいて言えばトイレが古いってことぐらいかなぁ。嫌なことって何かあったっけ?ってさっきから一生懸命考えているんですけど、ほんとにないんですよね。大満足。
学校のまわりは治安がいいので女の子でも安心して通えます。学校から徒歩5分の超豪邸に住んでいる台湾人の女の子がいて、よくそこにみんなで溜まってます。

 


画材の調達方法
カレッジショップは食堂の脇にありますが、私は結構ゴミを拾って作品に使ったりしちゃうんですよね。なんでも画材になるから。必要なときはCASS Artで調達しています。

 


寮トモ
フロアを共にする相性の良い8人の仲間と楽しい寮生活を送っています。8人のうちイギリス人は5人。積極的に話しかけるタイプの学生が多いせいか、他のフロアの住人とも快適な交流が生まれます。ところで私は超自炊派。なんでも自分で作っちゃう。寮友が多くて居心地がいいからあまり外で食べようという気が起こらないんですよね。

ファッション・デザイナーになりたかった
私は小学校2年の歳まで中国の大連に住んでいましたが、もうその頃からファッションが超大好きで、大きくなったら必ずデザイナーになるって思っていました。これといった理由は思いつけないけれど気付いたらとにかく好きでしょうがないって感じ。特にガリアーノが大好きで、ガリアーノといえばセントマじゃない?ってなわけで進学時期を迎える頃には「絶対セントマのあるロンドンに行く」って決めていました。

ジュエリーに魅せられて
小さい頃からファッションデザイナーになるのが夢でファッションするならセントマってガチガチに固まっていたのですが、チェルシーのファウンデーションに進んでからジュエリーの面白さに開眼しジュエリーを専攻することに決めました。そのきっかけとなったのがDiorのジュエリー・デザイナーのヴィクトワール。自然からインスピレーションを得て大ぶりでカラフルな作品を作る人です。一見フェイクっぽいんだけれど、実は全部本物の貴金属やストーンでできている、みたいなきわどさが持ち味です。昔からDiorの服が好きで色々調べているうちに彼の作品に出合いました。

 


一人で何でもできるもん
セントマのオリエンテーションでワイワイやっていたのがついこの間のことのような気がするのに、あれから1年以上経っているんですよね。ほんとにあっというまのことでした。ロンドンに来てからは親もいないし頼れるのは自分しかいないので、なんでも自分でできるようになりました。

休みの日の過ごし方
学校がないときは基本的に寮にいます。自室で作品を作ったりダラダラ過ごす時間がとっても幸せです。たま~にカラオケに行くけど高いんですよねぇ。40ポンドくらいするもん。

好きなミュージアム
V&Aが一番好きです。休みの日にミュージアムに行くとすればここですね。あとはサーチギャラリー。ここ1年間のエキシビションで一番印象深いのは、去年の秋Show Studioというイベントで見たファッション写真家ニック・ナイト作の短編映画です。

ロンドンは好き?
ロンドンは東京みたいに広くないけれど友達がいっぱいいるから楽しいです。

ロンドンで一番好きな場所
一番が自分の部屋で二番目がセルフリッジ(デパート)。何をしたらいいかわかんないときはセルフリッジに行っちゃいます。

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2010年07月20日

【コース体験記】Wimbledon Collegeファンデ 高村千紗さん

専攻
ウィンブルドンのファンデはこじんまりしていて総学生数は約200人。1年後に進む学部の学科に合わせて●シアター、●ファインアート、●ビジュアル・コミュニケーション、●ファッション&テキスタイル、●3Dに分かれています。私が属するシアターとファインアートの二つが一番人気で、それぞれの学生数は60人くらいです。

授業
‘授業日’は月・火・木曜日で丸一日授業があります。2時のレジスター(出欠確認)が終わったら帰ってもいいのですが、私は学校のほうがやりやすいので残って制作しています。家のほうが集中できるとかスペースがあるとかの理由で自宅制作中心の人もいます(同じクラスにいるユニ学生のマリちゃんはそっちのタイプみたいです)。自宅組が増えて登校組の学生が減り過ぎると先生は寂しそうですが、特に怒られることはないです。美大って自由なんだなぁと思います。

レクチャー
レクチャーのスケジュールというのは特に決まっていません。先生がミニ・レクチャーを計画したら学生がササッと集まって適当にやるというスタイルです。フラットメイトのハナちゃんはLCFの学生なんですけれど、彼女の話を聞いているとLCFはかなりしっかりしているみたい。ウィンブルドンってつくづく適当だなーと思います。

お友達
学校で一番仲がいいのは同じクラスのウェイちゃん(中国人の子)。放課後よく遊びに行くのはSculpture専攻のZoeちゃん(イギリス人の女の子)です。ファンデのコースではコース開始直後、テキスタイル、ファッション、シアター、ビジュアル・コミュニケーション、ファインアートの中から3科目好きなのを選んで2週間ずつお試しをするんですけど、友達が全然できなかった〈シアター〉期間中に仲良くなったのがZoeちゃんでした。最終的にシアターの専攻を決めたのは私だけだったので、今のクラスにはあまり仲良しさんがいません。

留学生が少なくてつらいよ(涙)
ほんとに留学生が少ないです。ようやく「私も留学生よ」という学生を見つけて喜んだらアメリカ人だった、とか…。ほんとの意味での(英語が母国語じゃない)留学生は今のクラスだって韓国人、台湾人、中国人、私の4人だけ。マリちゃんはインターナショナル・スクール育ちで英語に不自由ないから(言語面での)ガイジンじゃないですし。そういう意味ではちょっと寂しいですねぇ。そんなこと言ってちゃだめだ~って思うんですけど、やっぱりイギリス人の女の子たちと友達になるのは難しいです。留学生同士だと話しやすいんですけど、ほとんどいないですから。課題は自分で頑張ってやればいいですけど、友達作りはそうはいきませんもんね。そこがウィンブルドンで一番辛いところかな。イギリス人とは学校では会話しても外で一緒に遊ぶってところまではいかなくって。Zoeちゃんはスペインの血が入っているからガイジンの気持ちがわかるみたいで、やっぱりそういう人なら話しやすいけど、生粋のイギリス人っていうのは私には壁が高いです。

英語で困ったら隣人に助けを求める
わかんないことがあったらパパッと隣のクラスメートに聞きます。もうどうにもわかんないときはマリちゃんに日本語で聞きます。イギリス人て話しかければ意外と親切で、迷惑がらずに教えてくれるので助かります。ただ、クラスで一番目立つ派手なガール集団はちょっと避けてます。いつもオトコの話ばかりしていて、スタジオでもうるさくてけっこう迷惑なんですよね…こういうのって日本でもイギリスでも同じなんですね。

留学生が少ないことの利点と欠点
留学生が少ないのは学校のサポート面で得をする反面、‘サンプル’が少なすぎるためにチューター達が留学生特有の事情を熟知していなくて困ることもあります。超重要な「学部進学手続き」説明会をイギリス人学生と一緒くたにしてやったり、なんてしょっちゅうです。なので留学生はうかうかしていられません。「えっ、これって私にも当てはまるの?」と疑惑を感じた時は徹底的に再確認です。まあ、学校のザツな事務能力のお陰でサバイバル術だけは身につきました。


のんびりした校風
ウィンブルドンはリラックスしてるというか緊張感がないというか、ほんとにのんびりしています。冬休み前に、「ポートフォリオの準備が心配で」と先生に相談したら、「えっ、君、心配性だねぇ。冬休みが明けたら2,3日間使ってゆっくり教えてあげるから大丈夫だよ」ですもん。

ウィンブルドンのいいところ
とにかくフレンドリーな点です。担任じゃないチューターでも顔を覚えてくれていて、用が特になくても話しかけてきてくれたり。

いやなところ
‘授業日’が3日しかないところです。大学だから仕方ないのかもしれないけど、私としてはもっとみっちり毎日やってほしいです。しかも学部に行くと、セミナーとプレゼンのときだけ登校していればいい、みたいになるらしくて、それって週に2時間だけってことですよね…。不安です。優等生ぶってるんじゃなくて、これ、ほんとの気持ちです。だって、そういうのって(見張ってくれる人が居ないから)常に自分でモチベーションを維持しないといけないじゃないですか。イギリスのやり方は大変だなぁと常々感じています。


進路
候補としては、ウィンブルドンのほかに‘Central School of Theatre & Drama’という、UCL(ロンドン大学)と関係がある学校にも興味を持っています。セントマにも一応出しましたけど、オープンデイに行ったらそんなに行きたいと思えなくなったので、ウィンブルドンかセントラルスクールのどちらかに行くつもりです。

フラットメイト
家は、ハナちゃん(LCFのユニ学生)とシェアしているんですよ。私が引っ越しを考えていたときに彼女も家を探していて、じゃあ一緒に住もうということになりました。二人とも学部卒業まで4年間あるからどちらかが先に帰国していなくなるという心配がないので安心です。

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2010年03月25日

【コース体験記】Byam Shawファンデ 吉澤彩さん

学校名  :Byam Shaw School (a part of CSM)
コース名:ファウンデーション・コース
ライター : 吉澤彩さん(BA Fine Arts @Wimbledon College)

2010年現在、Wimbledon Collegeで堂々の1年生を張っている吉澤さんがファウンデーション・コース時代を過ごしたのはByam Saw School。アクが強いセントマーチンズ本校の傍らで静かなオーラを発散している同校のコースについて語ってもらいました。

楽しい?大変?どっちだファンデ?
楽しかったが大変だったというべきか、大変だが楽しかったと言うべきか(これが学部に進むと自由な時間をどう使うべきかという逆の悩みが生まれますが)。がっちり決まっているデッドライン(締切)に間に合わせるために常に時間に追われていました。最初の1週間はひたすらドローイング。その後はプロジェクトにかける時間が次第に長めになっていきました。

日本と違うぞ、ドローイング
日本で高校生をしていたとき美大予備校に通っていたけれど、英国式は日本のやり方と違うことばかりです。中でもドローイングは特に全く違うと思います。こっちの方がはるかに自由。下手でも誰にも何にも言われない。たまに日本に帰って友達に会ったときにロンドンの美大に通っていると言うと、「じゃあ絵がうまいんだ」と来るから「いやー、それが全然へたくそで」と答えると「え、なんで?」みたいになっちゃう。絵を描くのがドヘタでも素晴らしい彫刻を作れる人とかいるのに。

レクチャー
水曜日はドローイングで木曜はレクチャー、というふうに時間割は割ときっちり決まっていました。レクチャーは、たとえば彫刻がテーマであれば、古代の建築物やギリシャ彫刻全体を包括する内容がメインで時代の流れの合間に特定のアーティストを織り込むという形で進みました。

4枚エッセィ
そのレクチャーで気になったことを一つ取り上げてエッセイ(レポート)を書くのが決まりでした。4枚にまとめてほかのリサーチと一緒に提出しないといけなかったんですが、私はA4サイズ用紙に大きい字で書いてスペースを稼いでいました。ワード数ではなく「枚数」での指定だったからです。もちろん、やる気のある学生は大きな用紙にびっしり書き込んで頑張っていました。
ファンデで書いたエッセイ本数は、ファンデ終了時の500ワードのものと、レクチャー毎の4枚エッセイだけですが、「書く」ってホントに大変でした。

リサーチ
リサーチって何のことか全然わからなくて初期は特にうろたえました。チューターから「セオリーなんていいから、あなたはフィーリングでやりなさい」とアドバイスされたことからも私の弱点はわかるでしょう。それでも少しずつリサーチとは何かが理解できるようになり良い評価をもらえるようになりました。たとえば、写真を撮り、それを使ってのコラージュやドローイング。簡単なカラーを使ってのペインティング。色々なものをどんどん貼って言葉はチョコッとしか書かない、というのが私のパターンでした。文章については本からの引用をしたりするけれど、結局、やりたいようにやればいいということです。これをわかるのに時間がかかりました。バリバリのアカデミック系のクラスメートは本を読んだり書いたりのリサーチを得意としていました。

リサーチブック
リサーチブックは頭の中を映し出したものだから、考え込むより先に紙の上で試すことが大事です。落書きでもペイントでもコラージュでもいい、とりあえず何かを試す場所と考えればいい。たとえば、好きなアーティストの絵を見て「どういうふうにこの色を使ってあるのだろう」と思ったら、同じ色を自分でリサーチブックに作ってみるのもリサーチのうちです。

実験の場
日本の美大予備校に通っていた時もアイデアを書き留めるノートは持っていたけれど、リサーチブックというものはなかった。じゃあアイデアブックとリサーチブックの違いは何だろう?う~~ん、リサーチブックはアイデアブックより大がかりな「実験の場」というべきかな?
たとえば(これは私が実際にやったことですが)3Dのスペース(パースペクティブ)に興味があるなら、街に出ておもしろい形の建物や入り組んだ形の道を写真に撮る。その写真をコラージュやペイントなどの方法でリサーチブックの中で発展させていく。この時点でも何が出来上がるかまだわかりません。だから完成したものが最初の計画と全然違うものになっているなんてことは普通です。
最初から「この形をつくろう」と決めて作ると、できた作品が固まったように見えちゃう。というか、すごく「静止画像」みたいになっちゃうんですよ。リサーチを経た作品は出来上がりがおもしろいし、作品の可能性がさらに広がるように思います。完成した作品よりリサーチブックのページにある作品のほうが面白いじゃん、ということもよくあります。

クリット
ファンデ時代の地獄と言えばクリットです。皆が見ている前で二人がペアになってお互いの作品の解説や批評をするのですがこれが辛かった。自分の英語が足りないせいで自分の成績が下がるのは仕方がないけれど、クリットだと相手の成績にまで影響してしまうのです。何を言っていいかわかんないからすごく適当なことを言ってそのたびに心の中でペアの相手にあやまっていました。
今通っているWimbledonでもこの間彫刻と絵画の学生がペアのクリットをやったんです。初めにクラス全員がある作品の解釈をし、最後にその作品の制作者本人が解釈をするというやり方でした。面白いけれどやはり難しかった。きっといつまで経っても慣れないんだろうなぁ。

驚いた
ファンデが始まったばかりの頃のドローイング授業はスタジオが学生でギュー詰め。何か窮屈そうに思えました。「だいじょうぶ。クリスマス明けにはスペースが増えているから」というチューターのセリフ通り、年が明けたら確かに人数がガクンと減っていました。イギリス人は「合わない」と思うとぱっとやめちゃう。びっくりしましたけど、それは結局時間もお金も無駄にしないことになるからいいことだなと思いました。日本人だと「払った分がもったいない」ってなるじゃないですか。イギリス人はお金よりも時間を大事にするんですね。

♡♡ カオリ先生 ♡♡
ところで、Byam ShawのファウンデーションにはKaoriさんという日本人の先生がいて彩さんのチューター(担任)でもありました。もちろん、ふだんの会話は英語ですが、どうしてもわからないときには日本語で補足説明をしてくれたそう。Byam Shawには日本人学生が片手に収まるほどの人数しかおらず、友達に聞くというのも難しい状況で英語の弱かった彩さんにとってカオリ先生は大きな支えでした。制作や勉強面だけでなく、ビザの相談にも親身になって乗ってくれたそうで、まさに「進級の恩人」。


Byamファンデに物申す
不満ですか?なんだろうなぁ。学部への進学申込み手続きや内部面接の案内などの具体的な情報がきちんと流れてこないルーズさかな。書類提出の場所さえ誰に聞いてもわからないことがよくありました。Byamのファンデに限った話じゃないですけど、この国の人には事務的な面をもっとしっかり締めてほしいと思います。

お気に入りの場所
建築ファンデ&ファインアートのファンデ(私たちのクラスです)のスタジオは最上階にあったのですが、そこが一番のお気に入りの場所でした。放課後居残って友達と無駄話をしながら制作するのにぴったりな気持ちのいいスタジオでした。

デル?
ちなみに、一番上の階の女子トイレには「出る」というもっぱらの噂…そう、幽霊が。私は行かないようにしていましたが、他のトイレも突然ドライヤーが動いたり、閉めているはずの蛇口から水が出たりで、「やっぱり居るんじゃないのー」と怖かったです。ロンドンが古い歴史のある街のせいか、Byam Shawのキャンパスにもけっこう「ソウイウ雰囲気」があるんです。

好きな作家
パウル・クレーです。絵にリズムがあって色がすごくきれい。リサーチのときにもよくこの人を使わせてもらいました。晩年の天使のドローイングが特に心を打ちます。死ぬ間際に描いたといわれている作品ですが、これを描き上げた時のクレーは体が硬直して動けない状態だったといいます。戦争のせいで祖国を追われて苦しい状況が重なっていたのに、すごくやさしい絵なんです。そんな苦しい中でどうしてこんな絵が描けたのだろうと涙が出るほど感動しました。
好きな作家は似た感じの人たちになってくるんですね。カンディンスキーもいいなと思ったら、実はクレーと同じ学校で教えていたそうです。こっちに来て色々見て自分の好みがわかるようになりました。「こういう作家が好き」って言うとチューターもその作家に関することを教えてくれるし、そうやって世界が広がっていきます。

休日の過ごし方
美術館に行ったり友達と家やカフェでおしゃべりしたりです。一番好きなギャラリーはナショナル・ギャラリー。金曜の夜は遅くまでオープンしてコンサートが催されていて、雰囲気もいいし最近のお気に入りです。

留学のきっかけ
美術を学びたいと思っていたけれど日本の美大をいくら見てもピンときませんでした。予備校も通いましたがイライラするだけで嫌いでした。どうしようかなーと思っていたとき母親が「こんなのがあるよ」と見せてくれたのがユニコンとロンドン芸大の資料でした。「あーそっかー、こんなのもあるのかぁ」という感じで留学することに。

投稿者 unicon : 03:28

2010年03月01日

【コース体験記】(おまけ編) ファンデ面接(よねと君)

(Central Saint Martins College of Art and DesignのDiploma of Foundation Studies in Art and Design合格、同大学のBA Fashion Design希望)
セントマーチン周辺

今後このコースを受験する方のために、具体的なことを含めて書こうと思います。参考になれば嬉しいです。今から一年前くらいにCentral Saint Martins College of Art and Designのファッションデザイン科を詩って、コンセプチュアルなファッションに興味をもちました。そして、そこへ入学するためにファンデーションコースへ行こうと決意!同時にデッサンの勉強を始めました。

最初はどんなことをしていいのか分からず、日本の美大進学を希望する人と同じように静物デッサンなどをしていました。夏にUALの教授が来られてのオリエンテーションのような会に参加して、なんとなくだけど、UALの芸術に対する考えを理解。
「一つのことをどんどん発展させていって、新しいものへつなげていく(Development)。その過程が芸術。」そのことを教授は、
’Art is not a destination, but a journey.’
とおっしゃっていました。

日本の芸術の考え方とは微妙に違っていて、ポートフォリオを作るのに本当に苦労しました。最終的になんとか形になったポートフォリオの内容は大小含めて30点くらい。ドローイング(素描が多かった)、ペイント、コラージュ、写真など。作品の数はあればあるほどよいみたいです。

僕がいちばん大切にしていたのはコンセプトで、(正直技術では勝負できない!)あえてファッション的な作品は入れませんでした。というのも、将来何を作るときでも根本にあるものを大切にしたいという気持ちがあるし、夏のオリエンテーションで感じた、一つのテーマを発展させるということに重点を置きたかったからです。

面接ではやはりファッション的な作品がないことを激しく問われました。’Why fashion?’というコリン教授の鋭い眼差しをはっきりと覚えています。怖かった!しかし、自分の考えをはっきり言ったら、教授も理解してくれたようでした。

ズバリ、CSMのファッションで最も重要なのが、ドローイング、しかもLife Drawing(ヌードデッサン)です。服を着させる前の体を観察して、平面に表現することを要求されます。多分、素描や人物画はどれだけあってもよいと思います。僕のポートフォリオはdrawing①:ペイント①:その他①くらいの比率でしたが「ペイントが多すぎる。もっとdrawingを増やせ」といわれました。

そしていちばん鋭く突かれたのが、「あなたのポートフォリオの弱点は何か?」という質問。一生懸命、「平面ばかりだから、立体にしたい。」とか、「視覚しか要素がない」などこたえていたのですが、あっさり、「それは当たり前。Not interesting!」といわれてしまいました。コリン先生の求めていた答えは・・・「展開がない」というものでした。僕のポートフォリオの弱点は一つのことに固執していて、展開がなくなっているということでした。これからポートフォリオを作ろうとする人は、興味のあるテーマをさまざまな角度からリサーチし、CSMだったらドローイングをたくさんすればいいと思います。

結果、コリン教授はCSMとLCFのファウンデーションコースのオファーをくれました。最初ファンデーションはCamberwellにしていたのですが、Camberwellはファッションには強くないということでオファーはくれませんでした。

それから、IELTSスコアは取っておいた方が有利だと感じました。英語についても同等に評価されるので、美術も英語も、両方がんばってネ!面接の時に少しでも言葉が発せられれば熱意も伝わるし、自分の意見を間違って捉えられることも少なくなるしね◎

がんばってください!

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