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第21話:シマ子の流転

熊子さんの冬眠が長々と続いている間にも時代は回る。静子さんがLSEの学部生として髪振り乱して勉強していた2005年の淋しい秋口、ユニコンのロンドン事務所にロンドンではとんと見ることがない珍しいミニスカ学生が登場。静子、福子、熊子、フク子、山夫の5人がいわゆる直参(留学のスタートがユニコンから始まったという意味)であるのに対し、このミニスカは外様であった(トザマ:ユニコンでない留学機関の手配で留学が始まった)。出身は福島県。地理的に東の風がもう少しほしいと思っていた私はウェルカムしました。(って、それにしても、また田舎もんかよ…)
とりあえず、ユニコンにたどり着くまでの彼女の足跡をたどります。

●●ゲスト・ライターの紹介●●

シマ子さん(福島出身)
1982年生まれ。3姉妹の末っ子
得意だった科目:国語
苦手の科目:科学
部活:バスケ、バレー(踊らない方)、水泳、陸上、自転車、バドミントン、少林寺拳法、海岸掃除、焼肉(これはサークルで)
趣味:ダイエット、掃除
リスペクトする人:ココ・シャネル、マイ先祖さま

シマ子さん(2004年4月渡英:当時22歳)
「アジアのホテル王」を目指して
東京の大学で卒業単位を先取りし、ひまになる1年間を利用しての渡英を決意する(卒業証書を入手するためには出ない授業にでも学費を払わなくてはいけないが)。観光学を専攻していたこともあり、観光立国のイギリスでホテル学を修め、いずれアジアのホテル王になるのが当時の夢だった。留学の目的や、費用、滞在先及びその後の進路などワードで作った留学計画文書(10枚ほど)を両親に提出。「いいよ」とすんなり許可がおりる(娘はまだ2人いるし?)。 友達や家族に見送られ意気揚々と成田空港出発。
語学学校 → ホテル学校 語学学校とホームスティ生活を楽しく一ヶ月ほど経験した後、ホテル学校に移る。この頃から続々と問題が発生。フラットに移ったのだが、あまり家のひどさに毎日泣いて過ごす。3ヶ月分の家賃をすでに払っているのでどうにも逃げられない。どうしよう。学校の授業は授業で、語学学校で習っていた英語とはまったく違い(あたりまえだが)、よくわからない。

踏んだり蹴ったり
ホームステイ先の鍵を返し忘れた事が転機を呼ぶ。鍵を返しにホームスティ先を訪れ、いかに新しい住処がひどいかを小一時間話す。「戻っておいで」と愛の手をさし述べられ、新しい家に払った3ヶ月分の家賃は忘れることを決意。生活はまともに戻ったものの、コースに対して疑問を持ち始める。これは私の勉強したかったことじゃないかも。という考えが脳裏をよぎるがここでも1年分授業料を払っていたため、動くに動けない。

ホテル学校を退学
しばらく授業を受け続けるが、やはり煮え切らない。ホテル学校のコース修了テストは選択方式で頭をまったく使わずただの丸暗記なのに加え、先生が答えを教えてくれるというだめっぷり炸裂の授業である。私はいったい何をしにイギリスにきたのだろう?と日々むなしさをつのらせ、最終的に校長とけんかをして退学。ロンドンで近寄れない場所を一つ作ってしまった。

失意のあぜ道(2004年10月)
夢破れて一時帰国。地元郡山のあぜ道で自分が何をしたいのかを模索する日々。このままでは退けない。大体、ホテル王を目指したいのだからホテル学校へ行けばいいと短絡的に考えたのが大間違いだった。別にベルボーイとか受付けになりたいんじゃないから。短絡的思考のために犯してしまった数々の間違いを反省した上で、こうなればいっそのことMAを目指そうと思いつく。だって私が必要なのは体系的な知識なのだから。なら、目標は思い切り厚かましく、LSE(ロンドン大学)の大学院。そのためにはみっちり英語を勉強しなくてはいけない。日本の大学卒業まであと半年、田んぼの脇でグズグズ悔やんでる暇はない。早くロンドンに戻って語学学校に通おう。

●●山夫、二度目のつまづき●●
2004年9月、山夫20歳学部入学
戦場はキングスからクィーン・メアリーに移りました。やる気満々で望んだはずなのに、僕は初年度で留年してしまうのです。

学部の勉強はファウンデーションより数段ハードなのに僕にはそれに見合うスキルがなかった。読む量、書く量、タスク。どれをとってもレベルが段違いでした。
環境も違った。ファンデーションにはどこか和やかな部分があったのですが、学部は一変して個人主義のオンパレード。「ほかのやつは敵だよ」的な雰囲気がありました。まあ、全然知らない者同士の集まりなわけでいきなり仲良くというのも無理な話なのでしょうが、人見知りの僕には寒々としたものに映りました(学部の日本人は僕一人でした)。

このように技術的ミスやら精神的ミスやら、留年の理由は幾つかあげられますが、最大の原因は、将来役立ちそうに見えるスキルや教科以外には力をいれる必要がないという、いつもながらの独善的考えのまま突っ走った自分の浅はかさにあると思います。第一学年のほとんどの教科が「意味のないもの」に見えて手を抜いてしまい、挙句、学校に通う意義を喪失、留学の意味さえ疑問に思うようになっていました。そんな堂々巡りした挙句の落第でした。

2005年6月、第一学年修了試験を落とす
留年決定。1年後の再試を目指して自宅浪人です。

「悲しいけどこれ戦争なのよね・・」 スレッガー中尉が言いました。


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