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第22話:眠り熊、目覚める

時系列ランナーの中で唯一の社会人出身で、一番慎重で、一番東京から遠くに住んでいて、一番年上の熊子さん。もういい加減、目覚めてくださいよ。

熊子さん(2004年まだ冬眠中)
ユニコンに初コンタクトしてから3年経っていました。この間何もしていなかったわけではなく、いつかするかもしれない留学のために英語の勉強を結構頑張っていました。地元の英会話スクールに1年半通ったし、(熊本では入手できないので)わざわざ上京してIELTSのテキストも購入。終業後は疲れて勉強しないだろうと、起床時間を30分早め、家を30分早く出てドトールで勉強していました。

それなのに母にも会社の同僚にも留学の夢のことは話さずにいました。たとえ留学したとしてもいずれ日本という現実社会に戻ったときに、手に職も無い地方大学出身の年増の女ジムインに再びまともな仕事が見つかるんだろうか?」とか、「好きな事を仕事にしてる人ってきっと一握りなんだし、こんなご時世仕事があるだけでもありがたいと思わなきゃ」という超現実的な自己分析をしていたからです。

あと、1人ぼっちの母と、(アホかと思われそうだが)私がいなくなるとほぼ1日を一匹で過ごさなくてはいけなくなる犬を置いて出て行く事にも気が引けていたし、先の見えない世界に飛び出してしまうのも怖かった。「留学をしない方がいい理由」のほうが「留学したい理由」の10倍以上あったのです。

だけど、ある日、それまでバリバリに元気だった祖父がいきなり亡くなりました。「俺って死んでしまうのか…」という祖父の無念そう目を見たとき、「あー、やっぱやりたいと思った事は死ぬ前に全てやんないとな。人生1回きりなんだし、やって失敗した後悔より、やらなかったことを後悔して死ぬ方が悲しいかも」と思ったのです。もちろんそれだけが理由ではないけれど、あの祖父の目が私を留学に思い切らせた大きな理由のひとつだと思います。

花の東京へ(2004年10月:ロンドン芸術大学の面接)
お久しぶりにユニコンのHPをチェックし、東京事務所でのUAL(ロンドン芸術大学)説明会のために上京しました。話を聞いてとりあえず面接を受けることにしました。大卒といってもアートとは無関係の学部出身なのでいきなりのBA入学が無理なことくらい知っていたので(自分としては謙虚な気持ちで)LCPのグラフィック・ファウンデーションに申し込みました。

2004年12月にユニコン東京事務所の2階で面接。面接官、私の作品を見て絶句。一呼吸置いて彼が言ったのは、「あのねー、ファウンデーションはど素人が入学できるコースじゃないのョ。あなたのような超ビギナーにはABCディプロマが精々ってとこだね」
私の理解ではABCなんたらはファウンデーションより数段格落ちのコースだったので、「こちとらだって大学出てるけど分野が畑違いだから謙虚にファウンデーションでいいつーてるのにABCだとぉー」と思い、「そのABCむにゃむにゃとやらは行きたくないかもー」と抵抗。あの面接官、絶対「このやろー、お前ジューネンはえーよっ」と叫びたいのを我慢していたに違いない。

面接後、事務所にいた男性が「まー歳が歳だしABCやってるひまがないのわかるよ。しかしその作品じゃ話になんないわけだから、とりあえず、ロンドンで語学学校に通いながらセント・マーチンズのパートタイム・コースを受けてさ、作品を増やしたところで現地でもう一度インタビューを受けてみたら?」とアドバイスしてくれた(この男性が、3年前ロンドンから熊本の実家にいきなりの電話をかけてきたユニコンのシャチョーであることをこの時知る)。あのときはいきなりの電話で"ちょっとアヤシイかも"と微妙に警戒心を持ったのだが、
「ほら、あなたの地元って、加藤清正の時代から精神的に何一つ変わってないような頑固者が多いイナカでしょう。メールであーでもないこーでもない、と言うより、地理的にも訛り的にもあなたの地元に近い出身の僕が直接話したほうがわかりやすいと思って電話したのよ」と、とてもざっくばらんにアドバイスしてくれた。
(自分ではかなりなレベルの標準語を話していたつもりだったので)「頑固者」はともかく「訛り的」の言い草にはちょっとムッとしたが、とりあえずロンドンで3ヵ月やってみるというアイデアには共鳴できた。
(それで見込みが無かったら帰ってくればいいんだもんね)
(それなら時間的にもおカネ的にもリスクが低いし)
(親にも話しやすいかも)。

●●● 熊子さんに聞いてみました ●●●
「留学することに決めた」と公表したときの周りの反応を教えてください。

母:「あなたは甘い」
友人:「うらやましい」「勇気があるね」
会社の上司:「その歳で会社辞めて1年やそこら留学したゆーたちゃ、帰ってきても仕事ばら無かろうもん」「会社に残れ」

親戚のおばさんが唯一の大賛成者でした。おばさん自身も息子も留学経験者なので私の良き理解者になってくれ、留学を終えて金欠で帰国したときも助けてくれました。

2004年の日本
●自衛隊イラク派遣
●イラクで日本人が人質に
●日本人の人口がピーク
●イチロー、メジャー安打大記録樹立
●芸能人:ヨン様(韓流ブーム)
●流行った歌:瞳を閉じて
●流行語:チョー気持ちいい(北島康介)
 負け犬、冬ソナ、セカチュー、間違いない
●事件:オレオレ詐欺

(為替:1ポンド=200円)

2004年の世界では
●アテネ・オリンピック
●スペイン列車爆破事件
●スマトラ沖地震
●鳥インフルエンザ

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