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第26話:小象の涙

キングス城の拷問(ファウンデーション時代)に耐えられたのだから、もうどんな困難でも大丈夫!と意気揚々LSEの城門をくぐった静子さんでしたが、すぐに象の胃袋も縮むような世界が。神はこの小象に再び試練をお与えになるのか?
かたや、学部2年への進級ならず留年浪士の身となった山夫の運命や、いかに?

●●2005年LSE2年生の静子、1年生時代を振り返るの巻(パート2)●●

Jump out of the frying pan into the fire
入学するや否や、まだレクチャーが始まってもいないうちに、マルクスと人類学の関係に関するエッセイを3週間後までに提出しろというメールが突然チューターから届きました。エッセイ・タイトルからしてちんぷんかんぷん、何を書けばいいか見当もつきません。とりあえず本を読むしかない…という次第でコース開始の第1週目からエッセイとの格闘が始まりました。周囲がまだ新入生気分で遊びほうけているのを横目に、一人部屋にこもってひたすらリーディング、黙々とエッセイ…マルクスについて。マルクス、意味わかんない~とか思っていると外から笑い声が聞こえてきたりして、もう、泣きそうになりました。てか、泣きました、悲しいやら寂しいやら辛いやら情けないやら羨ましいやらで。

Social Anthropology
私のコース(Social Anthropology)はLectureが週5時間、Classが週4時間、Tutorialは1学期に3回くらいありました。Social Anthropologyは他のコースに比べて読み物が多い割りに授業時間が少なかったです。
Lectureは30~60名規模の受講者で行われましたが、Economicsなど人気コースのLectureは100名以上を対象に大きなホールでマイクを使って行われていました。

オンリー・ジャパニーズ
日本人が主流を占めていたキングスのファンデ時代と打って変わってコースのガイジンはほとんどヨーロッパ人。Economicsなどカネやビジネスと直結するコースには実益主義の中国人がドッサリいるのですが、人類学のように即カネに結びつきそうもないコースにはアジア人がほぼゼロ。精々が、ロンドンで生まれ育った中国人と香港育ちの日本語が不自然な日本人だけでした。何を言いたいかと言うと、英語のハンディを背負っているのが私一人だけという事実。前にも増してレクチャーに付いていけませんでした。

Me alone
Classでも悲惨な状態。授業中はずうっと黙黙黙。先生達はクリアな英語をややゆっくりめに話すのでまだいくらか理解できるのですが、生徒達の英語は倍速の若者言葉なので何を言っているのか解りません。たまに解っても、その意見に対する自分の意見を考えているうちに他の人が発言しDiscussionが発展していくので、この間、口を挟めないまま置いてけぼりです。その場にいるのに取り残されているような…英語でつまずいても笑ってごまかしてやっていけたキングス時代の和気あいあいとしたクラスが心底懐かしくなりました。 

理解できないレクチャーに苦しみ、たまの遊びのお誘いも断って部屋にこもりきりで勉強しているうちに、第1週目に熱を出し学校を休んでしまいました。象の胃袋、鉄骨の足腰を誇っていた私が、です。う~む、ストレス?知恵熱? 知恵熱は初エッセイ提出前日にも再発。でもこれだけは終わらせないと。熱でふらふらしながらも明け方まで書き続けました。

学部に入学するのを機に、渡英以来ずっとお世話になっていたHighgateのホームスティを出てLSEの学生寮に入居していました。積極的にコミュニケーションを取ってお友達つくろう♪と考えたからですが、英語できない→勉強に時間かかる→遊ぶ暇なし→友達できない→英語伸びない、のVicious Circleに見事どっぷりはまってしまった1年目でした。

However
しかしながら人間の適応能力とはすごいもので、そんな辛い状況にも少しずつ慣れていくのですね。慣れてくると周りも見えてきます。遊びほうけていた学生達も時間の経過と共に自分の生活ペースに戻り、そのうち似た者同志が集まります。例えば、毎晩キッチンでお料理する組と、外で食べて遊びまわる組とかね。自分と似た匂いを持つグループにちょろちょろ顔出しをするうちに淋しい私に構ってくれる心優しい人を発見することが出来ました。辛さが少しずつ和らいでいきました。

レクチャーも相変わらず解らないながらも徐々にやり過ごせるようになっていきました。Readingの量が減ることはなかったし、Classは常に苦痛の1時間であり続けたけれど。

Tomorrow will come
エッセイのほうはキングスで痛い目にあってきた甲斐があって大体「B」前後の成績をキープすることができました。1年目の終わりには一度だけですが「A」判定(Distinction)をもらうことが出来、とても嬉しかったです。小難(King's)を逃れたと思ったら大難(LSE)に陥ってしまった感のある辛い年でしたが、このA判定が私を勇気づけ、また頑張ろうと前向きにしてくれました。


■■2005年9月、山夫(哀戦士)の'これが留年だ'■■
コモラーからの脱皮
留年決定直前の自分を[踏切前で交通信号機に触れまくりのミニ四駆]と例えるなら、決定後(6月以降)の僕は単にヒキコモリ戦士でした。だってそうでしょう、キングスの仲間がみぃーんな学部2年生に進級してるのに自分だけ足踏み留年生なんですから。
フラットの自室でコモラーを決め込んでいた7月、日本の大学を卒業した兄が大学院進学のために渡英して来ました。塞ぎこみがちな僕を何とかしなければと思ったのでしょうか。大学でラグビー部キャプテンを務めていた兄は僕をラグビーに誘ってくれました。

ラグビー
ラグビーはそれまで団体スポーツの経験がなかった僕にはとても新鮮で純粋なものに映りました。だって、この世で「前にパスしてはいけない」なんてバカな競技はラグビーぐらいです。僕はこのスポーツがすごく好きになりました。大袈裟に言えば人生の縮図のように思えたからです。悩むよりまず走る!汗流してまた走る転ぶ汗流す走る。するとメシ美味いビール美味い夜はバタンキュー。よりラグビーを楽しむために来年の再試に向けた勉強スケジュールのクリアに気合が入りました。遅まきながら紆余曲折のコレが青春だ!ってところですかね。

なぜか、ガンダム
さて唐突ですが、ガンダムの話をします。なぜいきなりガンダムかと言うと、ラグビーと並んで留年中の僕に大インパクトを与えたファクターだからです。昔からガンダム作品は大好きでしたが、こんな人生最悪の時期に引き籠りながら観たガンダムの衝撃はまったく新しいものでした。
ガンダムのキャラクターはどれも強い精神と意志をもつ僕のライバルです。彼らを観ると「なんで俺はこうも自分の気持ちや意志を素直に表現したり体現できないんだろう?」と思います。まーこう書くと僕が変なやつだ、と思われるでしょうが、確かに変なやつだと思いますよ。

とにかく、クヨクヨ引き籠るよりは体を動かしながら考えようという方向に生活リズムが変化していきました。(1年前の夏に僕のことをウザイ鯉と評した)ミセス・ローズからも「前に比べれば少しは丸くなったかも」と言われるようになりました。
永くて寒い氷河期(留年時期)は、こうしてラグビーとガンダムで乗り切りました。
ところで、留年の最大危機は知識や学識が風化しがちになることです。その防止のため、「誰だよこいつ?」と思われながらも、留年中もQMのセミナーや講義に参加させてもらっていました。

2006年5月、resit
進級試験をパス、第二学年への進級が決まりました。

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