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第29話:熊子、GPC後期

大学院準備5ヵ月突貫コース(GPC)もいよいよ佳境に。そして歴史的惨事が。 2005年7月7日早朝、ロンドン・テロ同時発生。ロンドンの目抜きRussell Squareではバスが爆発されました。Russell Squareはユニコン・ロンドン事務所のホームグラウンドであるだけでなく、ロンドン大学の母体校UCL、SOAS、セントラル・セイント・マーチンズ、セントジャイルズ・セントラル校など、ユニ学生に超お馴染みの教育機関が建ち並ぶロンドン随一の文教エリアです。
テロ直後、界隈の車道や歩道の全てに立ち入り禁止を示す黄色のテープが張り巡らされ、私達はビルから出ることも許されませんでした。固定電話もケータイも不通となり、今夜はここ(事務所)でゴロ寝かと、事務所内をチェックしたところ、ミルク数箱とカップヌードル2個ともらいもののお菓子となぜかビール2缶を発見、こんな一大事の最中だと言うのに、人間はなんと現実的な行動に走るのだろう。
夕方、一部解除された黄色のテープの隙間からようやく外へ。見上げれば、薄紅の雲が散る美しい7月のロンドンの青空。その下を黙々と歩く人々の群れ。いつもなら観光客とバスと車で満ち溢れている大通りには一台の車の影すら無い。ほんの数時間前にすぐそばで幾つもの命が不条理に失われたというのに、私も彼らも今こうして生きて歩いている。その事実の残酷な不思議さに胸を打たれ、美しい空とテロという異様なコントラストの前に立ちすくんだ日でした。


2005年6月:GPC後期(プリセス)
GPC前半を終えたところで後期用のクラス分けテストがあり、数日の休暇後に後期戦が始まりました(後期戦はPre-sessional Courseの別名で呼ばれています)。
前期まで英語レベルが似たりよったりの仲間でほんわかやってきたのですが、ここでどどーっと参入してきたのが(英語の問題なんかほとんど無さそうな)ヨーロッパ勢(全員IELTSスコアが軒並み7とか8)。
コース・ダイレクターも男前から関根勉似のおっさんに変わり、スケジュールがぐっとタイトになり、下がり気味なのはテンションだけ。

「平日は夜まで頑張るが、土日は勉強しない」と言う甘あまなルールを自分で決めていたのだが、エッセイの課題が増えてくるとそうも言っていられなくなり土曜も勉強する事に(UCLの自習室は土曜日も空いているので)。前期はライティングのツボが分からず苦労したけど、後期のtutorは教え方がすこぶる上手で、ライティングが急速に苦でなくなっていくのが分かりました。
ところで、彼女は優秀な教師である半面ルーズなところがあり遅刻の常習者でした。授業の途中で「今日はこれからオックスフォードに行かなくちゃいけないから30分早く終わっていい? いやなに、今週教えるべきところはちゃんと昨日のうちに終わっているから心配ないわー」と学生を残したまま帰ったりというちゃっかりぶり。
しかし、「私が教えた事をちゃんとやれば修了試験で必要なスコアは必ず取れるし、大学院に進んだ後も必ずサバイブできるわ」という彼女の超自信満々な言葉通り、最終的にクラス全員が進学に必要なスコアを大幅に上回るスコアを取って無事に進学を決めたのでした。

2005年7月7日:ロンドン・テロ
後期GPC中にあの7月7日テロが起きました。朝イチの授業開始時間になっても生徒がぱらぱら、先生もきません。日本なら「何かあったのか?」と不審に思うのが普通だが、すっかり適当王国イギリスに慣れきっていた私は2、3人のクラスメートと「みんな、遅いねー」などと話していました。     まもなくチューターが来て「地下鉄で事故があったみたいなので自習室でニュースを見ましょう」と、皆でテレビのある自習質に移動しました。

最初はどこのニュースでも「電気系の事故で地下鉄がストップしている」と言っていたが、時間が経つにつれ「バスが爆発された」「死亡者がでている」「テロの可能性あり」というシリアスなものに。

そこからチューターと学生が手分けしてまだ学校に来ていない人の安否確認作業が始まりました。電話がなかなか通じなかったけど1人を除いてみんな無事であることが判明。その1人というのはアラブ系の超金持ちお嬢様で、学校には(ほとんど来ないけれど、来るときは)「バスもtubeも使わないから大丈夫(タクシーしか乗らない)」という事で一見落着。
バス爆破の1件がUCLのすぐそばで起ったのでキャンパスは「立ち入り禁止」のテープにすっぽり覆われて外に出ることができません。バスもtubeも週日ストップされ、徒歩で帰れない学生にはUCLが学寮を提供してくれることになりました。

私の住んでいる地域(Highgate)は途中からバス路線が一部運行を始めたらしいと聞き、がんばって帰ることにしました。「明日の授業はどうなるんでしょーか?」と(関根ではなく)男前に聞くと、「ん?通常通りやるよ?テロは確かに怖いけど、これで日常生活を止めてしまったらテロリストに負けちゃった事になるからね。普段通りに生活するのが一番なんだよ」との返事。英国人はタフだなぁ。
それからしばらくの間はバスの中で誰かがちょっとでも不審な動きをしたり、「かさっ」と音がするたびにドキドキしました。

2005年7月:大学院合格
GPCの途中でユニコンが勧めてくれたCity大学の社会学部にアプライすることにしました。
UCLのtutor達に助けてもらいながら書類を揃えIELTSのスコアもクリアして願書提出。2、3週間後にあっさりUnconditional Offerをもらいました。            

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