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第31話:静子の季節

夢見たLSEの門をくぐったものの、授業わからない、英語追いつかない、友達できないの三重苦で一人涙した学部1年生時代の静子さんでしたが…

2005年4月:静子、中だるみのLSE2年生
2年目は「中だるみ」の年でした。辛い状況であることに変わりがなくても1年目を乗り切った自信が後押ししてくれました。エッセイの出題時期やボリュームの予想がつくようになったことで安心感もちょっぴり芽生え、これがだらけに繋がりました。寝過ごしてレクチャーをミスったりエッセイから逃れるように掃除や料理に没頭したり、だらだら漫画読んだり(といっても『去年に比べれば』のだらけレベルです)。

授業についていく大変さは相変わらずで、遊びの誘いを断って部屋にこもってのReadingやエッセイ書き、半徹・完徹の勉強はごく当たり前のことになっていました。でも1年前のように涙をこぼすことはありませんでした。辛さの感覚が麻痺していたせいもあるけれど、私にも友達と呼べる仲間ができて精神的に安定してきたからだと思います。心にちょっと余裕が出来たのでLSE付属のランゲージ・センターで中国語コース(有料)を取ってみるなんてこともしました。

2005年6月:静子、無料インターン
英国大学の学部は3年制なので1年後には卒業?就職が待っています。わさわさした周囲に感化されて私もインターンシップでもやらなければと思い立ち、大学のCareer Serviceに相談に行きました。
Career ServiceではアドバイザーにCVをチェックしてもらったり、職種を調べたり、Career Service主催のインターンシップ・フェアに参加したりしました(結構な大手企業が来ていたがほとんど金融系だった)。金融には興味を持てなかったので自分で会社を探し、CVを送りました。Interviewを経て社員20名くらいの小さなマーケティング会社に決まりました。
ここでは社員さんの下っ端をしました。インターン生にちゃんとした仕事など任せられるはずもないので、やったことといえば、「○○についてリサーチして文書にまとめる」「何十もの車種のスペックを調べる」「ひたすらネット検索してコピペする」「参考になる商品を買いに行く」「牛乳を買いに行く」…などなどです。こんな仕事でもすることがあるだけまだマシで、ほとんどの時間は雑務すらなく、ぼーっとしていました。

2005年7月:静子、有料インターン
あまりの暇さに嫌気がさしはじめた頃、ユニコンから久々の連絡が。「おいしい話があるぜぃ」と聞きすぐに飛びつきました。おいしい話というのは、某大手英国銀行ピカデリー支店の日本法人部門の顧客アシスタントでした。仕事内容云々より、「バイト代が出るぞ」という点に強く惹かれました(マーケティング会社はただ働きだったので)。
ユニコンから連絡をもらった翌日にInterviewを受け、翌々日にはマーケティング会社に「今日で辞めます」と伝え、三日後には銀行で働き始めていました。

銀行での仕事は主にロンドンに駐在しているおじさん達(日本人)への応対でした。
これが思ったより厳しかった。『お客様』へのサービスが異常に発達している国(日本)から来ているので、ロンドンに来ても同レベルのサービスを要求してくる。ここは日本じゃないっていうのに。ここに居るのは日本一最低な銀行員よりもっとテキトーなイギリス人だって言うのに。そして、うるさい(失礼)客と超テキトー社員の間で右往左往するのが私の仕事なのだが、キレた客が文句を言ってくるたびにとりあえず謝らなければいけないのは屈辱でした(ワタシのせいじゃないのにーっ)。
ユニコンに寄ってこの屈辱感を語ったら、『おまえも子供だなー。とりあえず謝るやつが必要なんだろ。イギリス人は問題がシリアスになるほど謝らないからなあ。いいじゃん、頭下げておけば9割の日本人は気が済むんだから。日本人て文句言う割にはしつこくないしあきらめが早いんだよ。ま、高額のバイト代は頭下げ賃だと思ってさ』と云われました。う~ん、これが社会?で、社会人はみんなそうしているの?

スロー(時にはlazy)な英国人社員に動いてもらうのも大変でした。大学の授業で「だんまり」を決め込んで来たせいで「英会話」に自信が無いというのに、職場ではそんな言い訳が通りません。主張だけは立派なイギリス人と電話で(しかも英語で)交渉しなければいけないのにはてこずりました。相手が何言っているのか分からないし、自分の言いたいことはスラリと言えないし、言い負かされて電話を切ってしまうことがほとんどでした。

でも直属の上司(日本人女性)もチーム・マネージャーも「静子はよくやってくれているよ」といつも褒めて(慰めて)くれました。オーベー式ほめ殺し作戦?て言うより私がいなくなったらヤバいってことでしょう。うるさい(失礼)客に頭を下げる人間が居なくなったらこの人たち、夏休暇を取れないものね。

そんなこんなで勉強とは違う苦労があったけれど実社会を垣間見ることができたのは大きな収穫だったし、6週間の有料インターンが終わるころにはイギリス人と電話で話すことへの抵抗も少なくなっていました。あっそうそう、イギリス人の銀行員は5時前には皆帰り支度を始め、5時きっかりに風のように退社します。

~~ささやかなエピソード~~
●●●2005年7月。山夫、静子と邂逅すれど●●●

「おいしい」呼び出しを受けてユニコン事務所を訪れた静子さん。近況を語る静子さんを十分意識しながらも背を向けてスリッパ大のデカい手製の握り飯(オカズは塩のみ)にかぶりついていたのが、たまたま遊びに(時間つぶしに)来ていた山夫だった。当時の山夫はクィーン・メアリー(ロンドン大学)第一学年の試験結果を待つ身で、しかも暗い予感(落第)におののいていた。(そういう時だけユニコン事務所に逃避してくるのが山夫の常なのだ)。

1年違いだが2人ともキングス・カレッジの地獄の蓋を開けた同士。ここで出会ったのも何かの縁。生まれてこの方若い女性に全く縁の無い山夫にとってこれは天の恵みかも知れぬ。
いくらクチベタでも少しは共通の話題があるだろうと、スタッフが気を回して互いの紹介をしてあげたというのに、なぜか全然弾まない2人の会話。山夫にいたっては昨夜の残りメシをサランラップで丸めて塩を振っただけのスリッパおにぎりに顔を埋めたままである。
静子さんが帰るやいなや、「せっかくお膳立てをしてあげたと言うのに、少しは気のきいた質問とかコメントを云わんかいッ」と山夫を口汚く罵るスタッフだった。いくら照れ性だと云ってもこれじゃぁね。とにかく、何の感動も呼び起こさない2人の出会いと別れなのであった。

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